Independent Living

同い年で同じ障害名で同じく一人暮らしの友人が、自立生活講座の講師として言った名言がある。
「例えば、ハガキ1枚出すとして、自分でできなくて、でもお母さんが何でもやってくれる、というのと、自分でできるけど、自分でやらなくちゃいけない、というのとは全然違う。」
そう、服を脱ぎ散らかして出て行って、帰ってきたらそのまんま。自分で片付けるまでは1ミリも動かない(動いていたら110番ね。)。自分でどうにもならないレベルだったら、助っ人(私の場合はヘルパー)を待って、これをこうしてくれ、と頼むしかない。この言葉の数年後、自分も一人暮らしを始めて実感した。自立生活というのは、この「自分がやる」ということの尊さだと。自分の手足を使うかどうかはともかくとして、「自分がやる」という尊さだと。

映画「Independent Living」を映画館上映で観てきた。
居宅での介助者歴10年。目下、「自立支援とはなんぞや」という形而上学的疑問にぶつかってスランプ中のヘルパー某を連れて観に行った。「自立生活って何?」「自立を支援するってどゆこと?」という根本問題に、全く思い至らない居宅サービス提供者がほとんどの中、見所のある子なのだ。あともう一つ、エスカレーター乗りの経験をさせたい、ということもあった。

新型コロナウイルスのお陰で、各館のスケジュールが押して早々に終了してしまったが、ネット配信しているので、公式サイト からどうぞ

映画『インディペンデントリビング』予告編
インディペンデントリビング予告編

映画はまあ面白かった。隣で観ていた某によるとのっけから笑いだし、ずっとくつくつ笑っていたらしい。日本のドキュメンタリーには大抵付いてくるナレーションは無し。被写体の台詞と、時折入る撮影者の台詞だけで成り立たせられている。私の好きなタイプの作りである。
もれなく字幕付きなのが、文字情報優位の私にはちょっときつい。文字情報入ってきちゃうと、ガヤの話とかが聞こえなくなっちゃうんだよね、私。

鑑賞後、「自立支援のいいとこばっかり書いてるな~」と、二人でユニゾンしてしまった。
私は「わかりやすすぎる」と思った。もちろん、わかりやすいから「面白い」と思えるし、観る気にもなる(めんどくくさい話はごめんだ)わけなんだけれども、「自立生活」「支援」のイメージが、あまりにも「そのまんま」なんだよなあ。

何も検証していない、単なる私のざっくりした感触による分析では、「当事者」サイドからの地域生活へのアプローチは3段階に分けられる。第1段階は60後半-70年代に始まる有名なアレに始まる奴で、「いのちの重さを等しく我らに寄越せ」という最も根本的なアプローチだ。権利でも処遇でもない「いのち」からスタートしたところに、日本の障害者運動の特殊性があると私は見ているが、それは置いといて。
「障害のある私のいのち」を承認したところへ、80年代の半ばから、アメリカの自立生活運動が入ってくる。リベラリズムの正義論をほぼ思想的背景とするこの運動は、抽象的に概観すれば、「人≒市民(citizenship)」の範疇の外に置かれ、多くの権利から閉め出されている障害者に権利を取り戻し、「自己決定できる自由な人」としての地位を獲得しようとする運動であった。従って、障害者は、「障害」の部分を外からの支援によって補填されることにより、自己決定できる個人になるとされたし、目指された。国家制度的な支援がない中で、自治体による補助と既存の様々な制度、ボランティアを動員しつつ、「自立生活-Independent Life」の実践が積み重ねられた。Independent Life、と言ってイメージされるのは、だいたいこの時代の地域生活だと言える。
2003年の「支援費制度」が、転換点となり、第3段階、今に至る。地域生活の支援が、ともかくも制度化されて、個人の力量や地域の特性にほぼ100%依っていた地域での暮らしが、、一定の条件を満たせば、一応誰でも公的支援によって成立するようになった。それはまた同時に、Independent Lifeそのものを目的としていた障害者の地域生活が、ビジネスとしても成立するようになった、ということ、つまり「介護」によって「食っていく」ことも目的としうるようになったということを意味する。ぶっちゃけた話、第2段階では、Independent Lifeそのものを目的として実現すべく頑張れる人でないと地域生活出来なかったものが、第3段階に入ると、特段Independent Lifeモデルに依らなくても、暮らせるようになっちゃった、ということなのだ。私はまさに、第3段階に入ってからの独立である。独立も自立もIndependenceだが、私は分けて使っている。単なる一人暮らしが独立だ。

私は今世紀に入るまで障害者と無縁の生活していたし、自立生活運動で同世代の障害者が盛り上がっていたらしい90年代には、ノー天気な大学生活を謳歌した後、カビ臭い19世紀のドイツの法思想研究に沈殿していたから、その熱気を全く知らない。
とはいえ、その後、自分が障害者ギョーカイに関わり始めた支援費時代は、まだ、第2段階のクラシックなIndependent Lifeモデルが、まだあるべき理想として生きていた。個別具体的な生活を巡る「当事者」サイドの言説も、当然、Independent Lifeに立脚していたから、私もいきおい{支援を受けながら一人で暮らす」というイメージは、Independent Lifeだった。
自分の暮らしは自分で作る、自分で出来ないことはヘルパーにやらせない(逆説的に聞こえるが、もし自分に障害がなくても出来ないことは、ヘルパーにやらせてはいけない。)、ヘルパーにやってもらうことは私が主導権を取る、何も出来ない人がヘルパーとして来ても、一通り「五体満足」であれば、きちんとヘルパーとして働かせられるように仕込む、といったことは、いわば、「Independent Lifeの大前提」として理解していた。もし支援者が自分の手足であるならば、支援者がどうしたら仕事がしやすいかを考えるのは、頭である自分の仕事である。1個の生物と違って、手足も意志を持つ人格である(あっ、いきなり19世紀ドイツ有機体的法理解っぽくなったぞ)とすれば、一緒に考えて一緒に働く、という関係を、(理解できない人には要求しないが)原則として、私はヘルパーに要求する。
そういう私を最初の利用者として、1度の派遣時間は短いものの、長年に渡って、ほぼ私の専属ヘルパー的な、本来の意味での重度訪問介護的な関係でキャリアを作ってきたヘルパー某。こういう細かなことを積み重ねて、これならどこでも自立支援できる、と、私が太鼓判を押せる支援者なればこそ、クラシックな「Independent Life」に向かう支援を望まない人たちを前に、スランプに陥った。「お客様のご機嫌を損ねないよう、何でもやってあげてください。」か、「規則で決まっているので、定型の仕事しかサービス提供しません。」という二者択一の現状を前に、スランプに陥るのは当然なわけで。某のスランプにはいささか私の責任もある。

自立生活支援センターは、なにしろそもそも第2段階の産物だ。サービス提供する側と受ける側が、同じセンターに所属するメンバーだ、というところに、「Independent Life」をともに目指す、という理念的根拠を持つ。「ともに目指す」という関係に支えられればこそ、支援を受ける側は、「Independent Life」に向けて努力し、実現を目指さなければいけないし、支援する側も、サービス提供するだけではなくて、努力が出来るように「支援」しないといけない。地域生活を支える仕組みが制度化して以降可能になった、お客さまの要求するままにサービスを提供し、条件が合わなければお断りする「ヘルパーの切り売り」関係でしかない「事業所と客」関係ではそもそもないのだ。
「お客さんで実地訓練するわけにもいかないじゃないですか。よーのすけさんは、その点、ヘルパーのやり方も一緒に考えてやらせてくれるから。今日のエスカレーターだって、やり方は知ってましたけど(知ってたのか!それはエラいぞ)、知っているのと実際にやるのは全然違いますもん。よーのすけさんだから合わせてくれて出来たんで。」私だって君でなきゃ頼まんさ。エスカレーター乗りなんて、乗り手と支え手が息を合わせてやる合体技の見本みたいなもんで。つか、他の手動で自操の人、合わさないんかい。

某が言うことには、「カメラが回っているのに、利用者の前で、ヘルパーが腕組みして仁王立ちなんてあり得ない。」上司から間違いなく叱られる、と。やはり基本的に「客とサービス提供者」の関係なのだ。客の人生に、口出しして責任を負おうとする事業所なんてあろうはずがない。
腕組み仁王立ちはともかくも、出演ヘルパーたちの出来が良すぎるのに、某と私は笑ってしまったのだが、ああいう態度が取れて、全人格的な支援が出来るのも、理念上は「ヘルパーの切り売り」ではなければこそである。もちろん実際にはスットコドッコイなヘルパーもいるだろう。中の一人が「どんなヘルパーが来ても使いこなせると思えるまでに5年かかった」というところでそれはわかる。まあ、私もなんとかはするが「どんなヘルパー」が、全メンツの3割を越えるとさすがに支障が出るなあ。

障害者はそのままでいい。障害は個性だから人によって違っていい」という言説はある意味では正しいが、ある意味では心地良く無責任で危険な罠である。
とりわけ幼少期からの障害者は、幼少期より社会から隔絶されがちなので、よく言えばピュア、悪く言えば幼い部分を多く持つ。障害者支援が好きという人たちは、ともすれば、そういうピュアな幼さを愛しているので、「その人の意志の尊重」の名の下に、成長のポテンシャルを摘んでしまうこともある。ADLが自立の全てではないが、意志を貫くためにはそれなりの実力が必要であることも紛れもない事実だ。優秀で心優しい支援者たちがいなくなったとき、どうにかできるような力を付けることもまた支援の一つであるはずだ。
これこそ「ともに生きて」いないと出来ないことなので、サービス切り売りの現状ではまず不可能だけれど。

最後に、なんというか、「ひぇぇぇぇ~」と暗澹たる気分になったことを一つ。
メイン登場人物の「ムーブメント」の代表、たぶん、私と同じ歳、プラスせいぜい1歳、ヘタすりゃかなりマイナスだ。
彼が布団から1歩も出ていない16年間に、私は普通に大学受験して、普通に浪人して大学へ行き、ヒイヒイいいながらも自動車の免許を取って運転できるようになり、時には駅員さんと対決しながら公共機関を使って行きたいところへ行き(車で行けないところがいまひとつ根性の足らないところだ)…、っていうのをやっていたのだよね。頚椎損傷で寝たきり、というが、大学当時、1学年下に、やはり頚椎損傷の学生が2人いた。2人とも、体育の授業の事故だったから、退学にもされず、お情けでの卒業にもならず、1年の休学を経て、学区ではトップクラスの公立高校だったから、並みの努力で大学に入った。
同じ時代を生きたはずの「障害者」で、この差はなんだ。
「障害」は、いわゆる「障害」の有無よりも、どの両親のもとに生まれ落ちたか、の方がはるかに大きいんじゃないか、ということをまざまざと見せつけられた気がした。少なくとも、第1段階の「いのちの等しさ」が一応(あくまでも「一応」ね)承認されて、「障害」が即差別の正当性にならなくなって以降、社会階層の格差は、ほぼ断絶に近くなっている気がする。
この登場人物たち、たぶん全員私より若いんだぜ。
それで、「障害受容=境遇の受容なの?」とか言わないで欲しい。いや正しくは、そんなことを、あんなに若い子に言わせる社会はろくでもない。暗澹たる気分になるわ。