障害児の学校選び。選べるのも大変だね。

ワタシのバヤイ、超イレギュラーのワンバウンド暴投送球だったのは、就学開始期に香港なんぞに行っちまったことだろう。当時としてはかなり重度障害児をよくもまあ連れて赴任したもんだわいと思う。まあ、あまり深く考えないタイプの両親だったからね。というより、就学期には帰国しているはずが、会社が倒産してしまい、赴任が通常の倍の期間に延びちゃったせいもあるんだけど。準備もへちまもあったもんじゃないわさ。
赴任前に、当時、通所していた訓練会での親たちの話題は、就学免除撤廃に伴って設置され始めたばかりの養護学校の定数に滑り込めるかどうか、だったらしい。うちの場合、あまり大きな声では言えないが、祖父が地元の有力者だったので、「養護学校行けなくても、オレが地元の小学校に押し込んでやる。」と請け合っていたから、「学校に行けなくなる」という事態はないだろう、と、高をくくっていたらしい。そんな時代から、40年経つのに構造はなんかあんまし変わってないね。選択肢が増えた分、考えることが多いし、受け入れ側もたらい回し先が増えたし、反って窮屈そうだ。

50歳のこのワタシの仕上がり工合を吉とみるか凶とみるかは測りかねるところではあるが。
やっぱり海外移住、しかも、イギリスの福祉的先進制度とアシアの後進性がごちゃ混ぜになったところで、身体的障害による障害と文化的差異による障害をぐっちゃぐっちゃに経験したことは大きい。日本人向けの幼稚園を断られて、オーストラリア人の運営する託児クラスに放り込まれ、日本人小学校を断られて現地の養護学校に中途入学させられ(あちらは9月始まりだからね)、やっぱり馴染めなくて、日本人学校に再度交渉して入れてもらい、帰国したら帰国したで、養護学校にも普通校にも断られ…なんて経験、やろうったって出来ないわ。日本語しかできない5歳児がよ、英語で健常児の間に1年、広東語で1年だよ? 世の中、まっすぐに見られなくなるわさ。

大変と言ったら大変だったが、もう一回生まれ変わって、「やれ」と言われたら、やっぱやるだろうな。で、やらせてもらえるなら、もっとマジメに取り組みたい。