入試の公正さと学ぶ能力

私が受験した1987、88年(過去問も同じような感じだったが)の横浜市立大学文科の「国語」の入学試験は無茶苦茶で、800字の解答欄が4問並ぶ、計1600字を90分で書く、というものだった。もちろん、1問当たり見開き1~2ページの問題文が付くわけだから、90分丸々書けるわけではない。
無茶を承知で出題していたことに感づいたのは、入学してからだ。4学部の教員が、そのときに関心を持っていたテーマを扱う文章を各々で出題して書かせていたのである。全部書けていなくても、ある程度書けていれば、どれくらい読み解く力があって、論理を自力で再構成する力があるか、知的に洗練された目で読むとわかってしまうものらしい。もっとも、ひとりを合格させればひとりが落ちるわけだし、何しろ子どもが今とは比べものにならないほど急激に増加していた時代だから、今以上に、1点の差がシビアなものではあったけれども。
当時の横浜市大の「社会A」という学部は、30枚以上100枚、というレポートが各教科で出され(だから「試験にします」と言われると学生は大喜びする)、期末の2週間で原稿用紙1000枚に達することもある、という、とんでもない学部であった。すでにワープロが手に届く値段で出ていたからなんとかなったようなもんの…。とにかく「書く学部」だったのだ。

かく言う私は、高校までは一般の生徒と一緒に普通に試験を受けていた。配慮なし。いろいろ工夫を凝らしたが、400字/1時間以上の書字スピードにはならなかったね。普通はどれくらい書けるのだろうか。大して勉強しなくても成績は良好、というありがたーい体質だったから、「全部書けなくて悔しい」というだけで、結果的に実害がなかったんだよね。高校受験も、通学の送迎の関係で、かなりランクを落としたし、ア・テストと内申点で2/3の点数が決まる神奈川方式のおかげで、「答案用紙に名前書いて出せたら受かるから、病気だけしないでね」という、全く気合いの入らない受験だったから、「不公平だ」とか、主張しようがなかったんである。健常者に対する劣等感が極めて薄い(むしろナメくさっている)のは、おそらくここら辺りの経験による。

これまた通学送迎の事情により、そこそこ難関の横浜市大しか選択肢がないぞ、という事態に陥って初めて、「公正な配慮を」という願い出をせざるをえなくなった。うーんと背伸びして、手が届くかどうか、というところになって初めて、障害がハンデになったわけだ。
「共通一次試験」では通常のマークシートが免除になり、巨大なマス目のどこにどんな印を付けてもいい、という20cm四方の巨大マークシート答案用紙を数枚渡された。
二次試験では1.5倍の延長が認められた。終了は17時過ぎで真っ暗。これはこれでつらいど。

もちろん、「歩けないこと」を理由にした入学拒否は、転校・進学の度にやらかされてきた。しかし、純粋な?身体障害者の私の場合、そっち方面での「評価」と、学ぶ能力の「評価」は、全く異なる次元の話なのだ。受け入れる側にとっては同じなのかもしれないが。

私たちの世代では、受験は、1点を争うイス取りゲームだった。なにしろイスが少なくてプレイヤーはめっちゃ多かったし、合格したらほったらかしでOKだった。
しかし今、当時に比べたら、「受験」は、学ぶ能力をもっと実質的に捉えようとしているように見えるし、受験形態も多層化していると聞く。
だとすれば、ハンデを補うもろもろのハイテク・ローテク機器をフル活用して試験に取り組めるかどうか、というのは、障害を持つ受験生の「学ぶ能力」の評価をはかるテストとしてはむしろ重要だろう。
大学での勉強は、教科書だけあればいいというものではないし、全ての資料に点字や拡大本があるというわけでもないだろう。手書きでレポート50枚提出したら、たぶん教員が受け取り拒否る。まかり間違って妙な分野に関心を持ったら、万葉仮名や、ひげ文字(これは私だ)、ルーン文字とかも読まなきゃいけなくなるかもしれないが、そんなものがOCRにかけられる日が来るとは思えないから、それを乗り越えられそうな潜在能力を見ておく方が、「公正なるよーいドン」よりも、よほど意味を持つ。

共通テストの場合は、何しろマス試験だから、そういう能力の可能性を測るのは難しいところかもしれないが。