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ぼやっきいなよーのすけ 2002/11
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ホーキング青山とビートたけしの対談集を読みました。
読みました、と言っても、立ち読みですが、10数分で一通り目を通しました(書店の敵)。
ホーキング青山というのは、一種の形成不全症、「重度障害」の「お笑い芸人」、ビートたけしは言わずとしれたあの人です。
まあ、こういうタイプの人たちなら、こういう話になるだろうな、という路線そのままだったので、店頭で一通り目が通せたんです。
流行のフォークロア派というか「こころの福祉」派の人にはうけそうですね。
「昔は、障害者なんていなかった。
片輪も盲も、阿呆も同じ長屋で生きていた。
落語の世界を見よ。
障害者差別は近代社会の到来とともに始まった。
今必要なのはエレベータではない。
車椅子ユーザーを見たらすぐにみんなが運ぶという『心』が重要なんだ。
」
一見、正論に見えるところが、ヤバいんだよねえ。
「講釈師、見てきたようにものを言い。
」とはまさにこのこと。
あんたそんな昔に生きてたの? あと、年寄りの昔話も話半分に聞いておかないといけなくて、障害者本人といえども、こども時代の思い出は輝かしいですからね。
鵜呑みにしてはいけない。
よーのすけとしても、落語の中のお盲さんが幸せそうにはとても思えない。
もちろん、「心」は重要ですよ。
障害があるってだけで、不利な取り扱いを受けるのはおかしい、と多数の人が考えてくれない限り、「エレベータを車椅子ユーザーも使えるようにしなければならない」という発想は出て来ませんからね。
「バリアフリー」なんて言葉も出てくるわけがないんですから。
だけど、「心」があれば「物」はなくてもいいか、っていうと、そうはならないんだなあ、これが。
知ってます? 車椅子で歩いていて困ったとき、一番気軽に声をかけられるのはどこか。
週末の夜の駅。
声かけて下さるのは、ほろ酔いでいい気分のおじさんたち。
心やさしいのはよくわかりますが、車の運転しても捕まる状態の人々に、車椅子なんか担いでもらいたくないやい、ですよね。
「障害を生きる、というのは、命と命のぶつかり合いである。
テクノロジーの発展は、その部分を欠落させた。
」てなことを言う向きもあります。
でも大半の人がのほほんと昼寝しに2階へ上がって行くというのに、たかが2階へ行くためだけに、命がけのぶつかり合いなんて、よーのすけはしたくない。
どうせ命をかけるのなら、もっと違うことのために取っておきたいわけです。
逆説的に聞こえるでしょうが、よーのすけは、バリアフリーは心ではない、と思ってます。
心は、段差のために使う物ではなくて、もっと別のもののために使うものではないですか。
たかが段差を越えるために、「思いやり」を受けなければならないシステムは、そもそもの設計が間違っている、とおもっとります。
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ちなみに、「めくら」も「かたわ」もATOKで変換できませんでした。
ほかのFEPではどうでしょうか。
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横浜市立動物園ズーラシアなんぞに行ってみました。
動物園なんて高校の遠足で多摩自然動物園に行って以来、十数年ぶりです。
水族館&動物園は、結構好きなんですけどね。
十数年前の多摩自然動物園は、園内の敷地に洋式トイレが一カ所しかなく、しかもそれが折り返し点でしたので、帰路出立前にトイレ行こうとしてえらい目にあったことを思えば、たった(?)十数年のこの差は何?というほど、園内設備に差があります。
何よりかにより、車椅子ユーザーのお客さんの多いこと。
Nissinのステッカーで溢れかえってました。
かくいう自分も今日はNissinでしたけど。
もちろん、じいさま、ばあさまの、介護用車椅子が圧倒的多数でしたがね。
家人を乗せて車で行きました。
車椅子用車両はゲートで振り分けられて、ハンディキャップ駐車スペースに振り分けられますので、非対象者により占拠されることはなさそうです。
家人が皆「運転者は君だ。
車掌は僕だ。
」の人ばかりですので、車椅子マークばっちり表示で、すんなり誘導してもらえました。
中は、起伏があるとはいえ、原則として車椅子でアクセスできないところはなく、なかなか良い作りです。
しかし。
このズーラシア、柵の手すりの高さが、ちょうどいい具合に、ぴったり目の高さに来るんです。
昔々、多摩自然動物園に行ったときは、まだよーのすけは車椅子常用ユーザーではなかったので、社会福祉協議会で車椅子を借りて行ったんです。
で、その記憶は定かではないのですが、手すりばかり見ていた記憶はないんです。
というか、キリンの顔がとーっても大きかったってことしか覚えてないんですけどね。
社協にある車椅子は、たいがい標準サイズですので、よーのすけの車椅子より高いかもしれません。
それでも10cmは違わないと思うんてす。
手すりそのものが厚さ15cmくらいありますから、柵と柵の間から覗く感じ。
視線は子どもの高さかもしれませんが、子どもは柵に貼り付けるのに対して、車椅子ユーザーは膝がつかえますので、覗くことも出来ないわけです。
あと10cm柵が低いと鼻ぐらいまで柵の上に出て、見えるようになるのだけどなあ。
そうすると、子どもがこぼれるんでは、ということなんでしょうが、子どもだって、胸程度の柵でこぼれないでしょう。
大体、子どもは、見えないとなると、どうせ柵に登るもんね。
低い柵で寄りかかりにくいのは、むしろ元気な大人かも。
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やむを得ず、歩く人で混雑した場所を車で縫って走ることがあります。
当然、歩く人が優先です。
歩行者は、好きなように歩き、立ち止まり、急旋回します。
こちらとしては、すぐに止まれるように、ゆっくり走りますし、横切ってきたらすぐに停めます。
面白いのは、そういうところで、車を止めると、後ろから付いてきた人が相当数ぶつかるんですよね。
追突は、ナンボ人身事故でも、こちらのせいじゃないでしょうが、歩行者って、意外に前を見て歩いていないらしい。
よーのすけたち車椅子ユーザーは、人混みを歩くとき、前にものすごく気を使って歩きます。
しばしば足先、というか足置きの固いフレームが人に当たるからです。
人の足首ばっか見て歩いてる気がする。
で、後ろからやってきてつまずく人、というのも相当数いるトコ見ると、こちらの背が低いということを割り引いても、やっぱ前見てないんでしょうかねえ、彼らは。
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久しぶりに、「やられた!」です。
すっかり油断してました。
1年ほど前から折り込みチラシが入るようになっていた大型電気店に寄ってみました。
巨大なフロアを持ち、地下がスーパー、1−3Fが電気屋でその上が雑居、という、大店舗です。
駐車場も広々とした5F建て。
一カ所ハンディキャップ用駐車スペースがありますが、どの駐車スペースも原則として両脇40cmずつ空きをとってあり、どこでも車椅子を出せます。
エレベータにも車椅子用コンソール完備。
点字も付いてるし。
広々としていて文句の付けようがなかったです。
天井から下がったトイレの表示にも、「車椅子マーク」が全て付いていました。
これは安心。
一通り買い物をして、じゃ、トイレ行って来るね、と、落ち合い先を駐車場入り口にして、連れは精算に、よーのすけはお手洗いに向かいました。
ハンディキャップトイレの表示はすでに確認済み。
外にはハンディキャップトイレがなく、「へえ、男女それぞれにハンディキャップトイレスペース設けてるんだ。
えらいなあ。
」と感心しつつ中に入りました。
が、しかし。
どう見ても普通サイズの扉が二枚。
空いてるところを見れば和式。
「?!」と、振り返ると別の扉がありましたが、これはどう見ても用具入れ。
見落としたか?といったん外に出ましたが、右は行き止まりで左は男性トイレ。
さらに行くと階段。
階段の前で首をひねっていると、不審に思われたらしく、杖を付いたご婦人が話しかけてきました。
どうしたのかと訊ねられ、車椅子マークがあるけどトイレがないもんで、と応えると、それなら2Fであるという。
しかし、ここには車椅子マークがあるではないか、と、頭上の車椅子マークを指さすと、その矢印の先は階段である、と言う。
たしかに、トイレの前は階段で、矢印は階段を示していましたが、ほんとにそうだとしたら、冗談にしてもあんまりってもんです。
エレベータは向こうだから、と足を引きずりながら歩き出すご婦人。
いや、よーのすけも2Fから降りてきたんだから、そりゃ知ってますが、事態はかなりあやしげなので、店員さんに聞いてみる方が…、との躊躇なんか知ったこっちゃない、ご婦人、どんどんエレベータさして歩き出し、こっちよー、なんて言っている。
こちらもつれていってもらうには及ばないので、途中でお引き取り願いましたが、結局ご婦人、エレベータまで、付いてきました。
上がる前に確かめたかったのに。
しょうがないんで2Fに上がり、建物の反対側にあるトイレを目指すと、女子トイレと車椅子マーク。
しかし、そこにあるのは「押し戸」。
車椅子用設備で押し戸というのは、ないはずなんですが、たまに、ハンディキャップトイレの外扉として付いていることがあるので、ひょっとして?と入ってみたところ、空いているのは和式。
もう一つの方が空いたので覗いてみると、それは、確かに広いが、「お子さまと一緒に入れます」トイレ。
間口は車椅子じゃぜんぜん入れないし、入ったところで、脇に子供用の小さな便座が付いてるだけで、手すりも何にもないんだもん。
ここでも途方に暮れていると、そこから出て来た親子連れが、「ここはないけど、どこかにあるはずですよ。
」と言う。
店員さんを捕まえて「身障者用トイレ」どこですか、と訊ねたところ、自信たっぷりに案内してくれたのは、今よーのすけが出て来たトイレ。
「ここは、ないんですけど。
」というと、店員さんも「???。
だってここ、車椅子マーク。
」でもないんだもん。
ここの車椅子マークの矢印が示しているのも階段だったので、店員さん、矢印に従って上の階も見てきてくれましたが、やっぱりなかったらしい。
仕方がないので、手伝ってもらうべく、連れを探したところ、向こうから見つけてくれました。
連れの曰く「ここ、ハンディキャップトイレないんだって。
」清掃の人に聞いたらしい。
それで、使いやすいトイレ探してるであろう、よーのすけを探していたらしい。
連れの手を借りてトイレ済ませましたが、幅は広くて奥行きが狭い、使いにくいトイレだったなあ。
ここ5,6年にできた大型店舗で、ハンディキャップトイレトイレがない建物ってなかったので、あるものと思いこんだので、「やられた!」になったわけですが。
それにしても、「ない」ものを「ある」と表示しちゃいけませんや。
お客さん、店員さん、誰に聞いても、「どこかにあったはず。
どっかにあるはず。
」とおっしゃいます。
なまじ、マークがあるもんだから、みんな、「あそこにあった」と思いこみます。
結構、ほかの場所で見たトイレと混同している人もいるみたいです。
それだけハンディキャップトイレはあるのが当たり前になってきているってことです。
「看板に偽りあり。」これは、一番被害が大きいですし、倫理上悪ですな。
ハンディキャップトイレ偽装してどうする。
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急坂にある横断歩道の前で、若い女性がしこたま本を積んだ台車を支えながら、車が途切れるのを待ってました。
気の毒だったので、通してあげました。
渡った彼女の後ろ姿を確認しつつ通り過ぎようとすると、ありゃ。
お嬢さん、歩道に上がる小さな段差につまずいて、台車に積んだもの全部ぶちまけちゃった。
車が待ってるんで、慌てちゃったのかな。
だったらかえって悪いことしちゃったかも。
こういう人に、車椅子を押してもらうと、スリリングなのよねえ。
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最近さぼりがちのぼやきです。
いや、ネタは仕込んであるんですけどね。
本体の記事の方、大型記事をいくつか企画してますので、そちらの方をいじってます。
実際、ここしばらくよく更新してるでしょ。
WEBに裂ける時間には限りがありますので、今はそちらを優先ね。
12月のカウンタも作らにゃならんし。
ま、小さくぼやいていけばいいんでしょうが。
あと、このぼやきのログ整理が結構面倒だ、ということもあります。
月ごとに、ファィルを替えて、体裁をログにして…って結構面倒なのよ。
誰か、月ごとにログを作ってくれるHTMLベースのスクリプトを教えて下さい。
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Yoonosuke Hazuki[MailTo_ocean@mbc.nifty.com]