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ぼやっきいなよーのすけ ☆ 2002年2月
▼頁末へ
…なんやまた、AC(政府広告機構)ってば、変な言葉作ってからに。
去年、「指一本のボランティア」が好評だったのをいいことに、二匹目のドジョウを狙ってきてますな。
よーのすけは、新聞の投稿欄をチェックする人間なんですが、この「指一本のボランティア」は、結構肯定的に話題になった珍しい広告でした。
これはパート2出ると思っていたら、やっぱしね。
…しかし、いまいちネーミングセンスが…うぅ。
「ボラ」は河口付近に住む魚で、水質汚染に強いので、都市部でもよく釣れる。
身は白身だが油が強くにおいにクセがあり…って、誰か止めなさいってば。
「指一本のボランティア」は、何となく心に訴えかける響きを持つけれど、「ちょボラ」じゃーなぁ。
言葉の響きに打たれる人種には響かないだろうし、はじめから打たれない人は相手にしないだろうし。
…なんてボロクソ言っていたら、流行語になったりして。
しかし、つくづくあのCMって、「ボランティア」のもつスケールを矮小化してるよな。
あのCMでやってることって「親切」とどう違うのかしらん。
「親切」では今日言い切れなくて、「ボランティア」にすることに込められた意味って何なんでしょうねえ。
▲先頭記事
ろくにテレビ見ないよーのすけの言うことだから、アテにはならないけれど、今年のオリンピック、今ひとつ盛り上がっていないみたいですね。
で、そのせいか、今回はパラリンピックの話題もいまいち。
よーのすけの家は、新聞2紙とっているのだけれど、パラリンピックの記事を見たのは、2/2(土)が初めてだったな。
シドニーの時は、「パラリンピックを応援します。
」なんて、宣言してた某テレビ局も、今年はいっこもニュース流しとらんし。
一回やって、もう飽きたらしい。
サッカーW杯と重なったせいもあるだろうけど。
▲先頭記事
よーのすけ、ポインティングデバイスとして、トラックボール使ってます。
このトラックボールっていうやつ、掃除するのが大変で。
ひと月ほど使っていると、ある日突然マウスカーソルが動かなくなるんです。
で、ボールを外して磨き、中のローラーを覗いてみると、うっすらと白い膜がかかっているのです。
ボール受けの金属のローラー3つと、ポイント用のゴムのローラー2つ、傷つけないようにしつつ、かなり力任せに膜をこそげ落とします。
マウス肩凝りがひどくて、2年ほど前に乗り換えました。
自分で最初に買ったパソコンについていたのがトラックボールでして。
そのトラックボール、クリックスイッチの位置が悪くて、結局使い切らず、まもなくマウスに替えましたけどね。
とは言えそのパソコンはWin3.1。
Windowsはほとんど使わず、ほぼDOSマシンに徹しさせていました。
しかも、リソース確保のため、そもそもマウスデバイス組み込んでいませんでした。
だから、マウスとはご縁のないパソコンライフ送っていたわけです。
95にのりかえてから、というか、インターネットに接続しだしてからですよ、ポインティングデバイス不可欠になっちゃったの。
マウスカーソルをボタンに乗っけて動かさずにクリック、って、不随意運動あると難しいんですわ。
ましてやドラッグ。
それで、ポインティングデバイス替えざるを得なくなったんですけど。
マウスは今、これでもか、っていうくらいいっぱいあるけれど、トラックポールって売っていないんですよね。
以前はなくはない程度だったのが、今や秋葉原行ってもないんですもん。
今のトラックポール壊れるのが恐怖ですわ。
▲先頭記事
捻挫とかってほんと、怖いですねえ。
よーのすけ、家の中では伝い歩きをしています。
治りかけてはすっころんで治りにくくなっていたので、転ばぬ先の用心に、子供時代使っていた歩行器を15年ぶりに引っぱり出して、使ってました。
そしたら、今や、怖くて歩行器なしには歩けなくなっちゃいました。
歩行器頼りの昨今ですが、その歩行器が壊れました。
何せ小学校入学と同時かその準備期間にに購入したシロモノです。
30年とは言いませんが、それ近く経ってますから、保ってる方がスゴイとも言えます。
この歩行器。
11月5日 (月)のぼやき ☆ 国産品 でも触れましたが、イギリス製。
センチじゃなくてインチ規格なんです。
20年ほど前にも一度破損しました。
枠の一部が折れたこのときも、福祉機器メーカーでは部品が合わなくて、ハンダ付けでごまかしたりもしましたがとうとう直らず。
同様の歩行器を探すも見つからず。
で、どうしたかというと、話を聞いた友人が、近所の鉄工所に問い合わせたら、その部品をそっくり作ってくれ、数ヶ月にわたった故障状態がわずか3時間で直ったのでした。
今回壊れたのは、タイヤ。
自転車でいうスポーク部分が、プラスチックでできており、それが朽ちて折れてしまったんです。
とりあえず、車椅子を作ってくれた製作所に持ち込みました。
やっぱり規格が合いません。
これでないといけませんか、似たようなものありますよ、とカタログを見せてくれました。
一見似ていて、しかも折り畳める♪と、喜んだのも束の間。
実寸を比べてみるとなんだか変。
妙に大きくて、とてもじゃないけど、日本の家屋では身動きとれない。
「…これ、室内で使うこと想定していませんから。
」つまりは施設用? …おいおい、装具士さん、そんなもの紹介して、人の話聞いてるんですかいな。
20年前に探してなかった装具は今もないわけね。
タイヤが落ちた歩行器なんてうちに置いててもしょうがないので、「何とか考えてみますぅ。
」という製作所に置いてきましたけど。
たぶんいくつかのメーカーを回って、部品作ってくれるかどうか聞いてくれるんだろうとは思いますが。
せめて、メーカーや型番がわかっていたら、インターネット駆使して探し出し、英語でたどたどメールを書くんですけどね。
正直なところ、福祉メーカーあたるよりも、タイヤ扱っているところを探して聞いた方がいいんじゃないか、って気がしてます。
もし、タイヤとか、金属とプラスチックで何か作るような業種をご存じの方、いらしたら情報下さいな。
▲先頭記事
やっと、気になっていた記事更新しました。
「これから車椅子を作る人へ」は、一旦書いたものをなくしてしまってまして。
その上、国際福祉機器展に行ったことで、車椅子の見方も多少変わったりしたので、ちとまとまらなくなってしまいました。
「ウラ」をとらずに書いてますので、多少ウソが入っているかもしれません。
学生さんの期末試験に間に合わせてあげようと思ったんですが、駄目でしたね。
多少もっともらしく裏付けをして、文体を整えれば、そこそこのレポートになると思いますが。
ポイントは多岐にわたっていますから、それを一点に絞って書き直せば、いい点とれるはずです。
…って、良い子はやっちゃダメですよ。
もし、やっちゃった悪い子がいらしたら、採点結果を必ず報告して下さいね(笑)。
彷徨日記。
気恥ずかしくなるような車椅子・ハートフル・ストーリーですが。
恥ずかしくて、なかなか最後まで書けなかった。
なんだかねえ。
出来過ぎです。
周囲の横暴さに腹を立ててる車椅子外出話が多い中、どーしてよーのすけだけ、いつもいい思いするんだろ、と、不思議に思ってます。
とはいえ、ちょっと複雑な気持ちになった外出でもありました。
こういうめんどくさい施設を利用する場合、周囲の負担は、どうしても大きくなります。
今回のケース、文句を付ける相手は、その設備を作り、管理しているところであって、利用者、つまりイベント主催者ではないんですよね。
そこが、駅なんかと違うところなんです。
相手が駅であれば、旅客の輸送はそちらの仕事でしょう、と迫る気になるけど、そうじゃないもんねえ。
この上なく快く受け入れてくれただけに、ますます申し訳ない気持ちが先に立つんです。
幸せな気分になると同時に、ほんとにいいのかなあって思います。
…珍しく謙虚な言動ですね。
▲先頭記事
出先でトイレを借りに、病院に寄りました。
まあ大病院に入る部類の総合病院です。
そこで、見つけてしまいました。
ハンディキャップトイレ内。
立って目の高さに取り付けられた「カバン掛けフック」。
あ〜、カメラ持って来るんだった。
妹くんの考えた「カバン掛け=ドア止めとセット」説によれば、スライドドアのハンディキャップトイレにはドア止めがないので、カバン掛けフックもないはず。
そこで、普通の手洗いを使った母に尋ねると、個室のドア、「外開き」だったんですね。
そう、バリアフリーの基準は、「トイレのドアはスライド式か外開き」でした。
外開きのドアではドア止め付けませんものね。
それで、ハンディキャップトイレの分も入れて、一緒にフック発注して。
そして、一般トイレと一緒に、同じ位置にフック付けちゃったってわけね。
このトイレ、できた当初、ペーパーホルダーが別の位置にあったらしい。
釘のあとが残ってました。
未使用ペーパーをストックしておける大型ホルダーです。
そこから推測するに、L字手すりのLにぴったりくっつけて取り付けてあったらしい。
その位置だと、たぶん、ホルダーが邪魔で手すりに掴まれず、手すりが邪魔で、ペーパーも出てこないと思うんですが…。
こんなことで大丈夫なのか? 日本の技術屋さん達は。
▲先頭記事
また、ここの記事、面白くなるな、と思っているよーのすけ。
類似商品探してもないところを見ると、この機器自体珍しいもののようだし。
「室内で使うことは想定されていません」という類似品達。
施設で使え、という意味らしいけど。
…けど。
けどでもこのサイズ、たぶん、学校とかの「施設」でも、トイレなんかに入れないよ。
いや、個室じゃなくて、個室が並んだ通路。
入ったら、後ろ向きで出るしかないもん。
この歩行器「ウォーカー(って、まんまやん)」、帰ってきたら、紹介してもいいかな、と思ってます。
これでもか、ってほど単純な機械で、なんでこれが直らんの?ってものです。
このウォーカー、移動するための初めての補装具なんだけど…、一生使うことになるんだろうかねえ。
▲先頭記事
よーのすけは、諸般の事情により、「下戸」ってことにしています。
最大の事情は、車での移動が多いこと。
宴会にも車で出掛けること考えると、酒の味覚えたら、命にかかわる。
酒好きが、酒無しで宴会出るのはつらいものらしいですからね。
つい、じゃ一杯だけ、なんて言ってますもんね。
むしろ最初から、酒の味知らない方が身のためじゃ、と思ってます。
これ、脳性マヒ者には何故か珍しいことであるらしいです。
どういうわけか、脳性マヒ者って、酒呑みが多いことになってるんだそうな。
想像してみて下さいな。
不随意運動だらけの、言語障害ばりばりの人が、しこたま酔っぱらって、千鳥足でろれつ回らなくなるってんですから。
職務質問されて当然だし、泥酔者と思われて、保護されても、そら文句言えんですわな。
でなきゃ、すっ転んで血だらけになった、とか。
そういう自慢話、時々聞きます。
でも、酒呑まずから見ると↑って、あまりいいなとは思えませんで。
それでなくても、負傷しやすいってのに、そこまでして呑みたいかね、と思うんですが。
よーのすけとしては、怪我の可能性は、極力減らしておきたいけど。
やっぱ、酒を呑む、ってかっこいい・大人の行為に見えるんでしょうかねえ。
「かっこいい」ってのがなかったら、酒ってそんなにうまいもんではないような気がする。
いい大人が、酒をたしなまないと、変な奴扱いされるんだよね。
そういえば、おしゃれなカウンターで、飯茶碗が似合わないのは何故なんだろう。
以上、ついさっき夕食時に、付き合え、と、グラス2cm程度のワインを出され、ご飯が欲しいよぉ、と思いながら、おいしいでしょ、と同意を強要されて、浮かんだぼやきでした。
▲先頭記事
パソコン関係使い初めて、何が増えたかって、コードほど増えたものはないです。
いま、よーのすけはノートしか使ってないけれど、プリンタ払い下げられたおかげで、プリンタの電源とプリンタケーブル。
これに、MDだのケータイだのの充電器並べてごらん。
デスクの上はコードとACアダプタの海。
電源コードはまとめてはいけないっていう話だし。
下に投げたら、それでなくても危ない足許が危なくなるし。
どうしろっていうんじゃ。
あ、でもこれ、ハードディスクとモデムが別電源だった時代よりかはましかしらん。
仕方がないので、今朝、コード類まとめて箱に放り込んでみたんですが。
やっぱりパソコンのACアダプタ、熱持ちそうで怖いなあ。
思い出したけど、以前、このACアダプタ、爆発したことあるのよね。
しかも、このコードって、どうしてこうねじれて体積増えるんだろう。
素直にまっすぐになっててくれれば、こんなに机の上一杯に広がらないのに。
▲先頭記事
修理に出した歩行器、ちょうど一週間で、診断結果が出ました。
直すのは直してくれるようなんですが。
あと3ヶ月かかるらしいです。
「3ヶ月あったら、自動車なら相当あちこち直せるぞ」とは、母の言。
加賀まりこなら怒り狂いそうだ。
(某T社のテレビCM参照のこと)
お値段の方は、約2万円ナリ。
これで、同様の歩行器1台買えますけど、直します?と、業者が打診してきました。
コンポとかなら買い換えるけど、「同様の歩行器」って、先週ぼやいたように、よーのすけにとっては使い物になんない歩行器ですもん。
前が2cmほど高くなっちゃうようだけど、それくらいはしょうがないです。
手帳で作っていないので、手帳で修理はできないらしい。
…でも、確かに、県のマークの入った障害者手帳は使ってないけれど、イギリス政府の支給は受けてるんだよね、この歩行器は。
▲先頭記事
先週、トラックポールの掃除をした話をしたけれど。
実は、その数日前、パソコンのスイッチを入れると同時にブルースクリーン・ハングを起こして、それ以来、マウスカーソルが暴走するんです。
勝手に、画面の真下に歩いて行っちゃう。
以前から、マウスカーソルがすとんと下に落ちたかと思うと、それきり動かなくなって、本体付属のスティックポインタに切り替わってしまうという現象はあったんですが、今のはマジあやしい。
PS−シリアルマウス、支配しているのは、ひょっとしてBIOS? うぅ、いよいよアウトかな、このシステムは。
▲先頭記事
今日のは全然車椅子に関係ない話。
うれしかったから書いちゃうもんね。
今朝、新聞見るなり驚いたなあ、もう。
一面トップで、「千と千尋の神隠し、ベルリン映画祭で金熊賞受賞」だもんね。
オリンピックはメダル出ないわ、景気のいい話は最近ないわで、新聞構成担当が飛びついたに違いない。
コンペに参加していたのは知っていたけど、せいぜい銀熊賞だろう、と思ってました。
審査員特別賞。
昔から、宮崎駿さんの手がけた長編アニメーションは、映画だけど、アニメーションだからってことで映画扱いされなくて、でも、面白すぎる、っていうので「特別賞」のパターンが多かったからね。
なにしろ、「宮崎駿」の名が知られる前から、というか、知る以前から好きな作品が多かったですからねえ。
よーのすけの好きなものに対する執着心の強さは身内ではつとに知られておりますが、これも例外ではありません。
「長靴をはいた猫(1968)」「どうぶつ宝島(1971)」。
言葉もわからない香港で、広東語吹き替え版を一度見てすっかりはまり(小学校低学年)、タイトルも何もわからない状態から、探し出したのが高校生の時(←アホ?)。
まあ、よーのすけも、この世代のふつーのアニメ好き並みに、最初は「風の谷のナウシカ」ですわな。
世の流行には全く無頓着で、それまで映画なんかほとんど行かなかったよーのすけです。
「ナウシカ」が、一部の人達の間ですでに絶大な人気を誇っていたなんて知りませんでした。
武装して、胡座をかいてる少女のポスターに、何故か惹かれて横浜まで見に行きましたっけ。
当時は車椅子使ってなかったから、横浜に行くなんて、富士登山くらいの覚悟がいりましたけど。
それで、宮崎駿の名に注意を向けるようになったんです。
アニメ雑誌なぞを時々見るようになり、過去に手がけた作品のワンカット一覧の中に、長年「あれは何だったんだろう」と思い続けた見覚えのある何枚かを見つけたよーのすけは、興奮しましたねえ。
この作家は絶対自分のフィーリングに合う!と決めつけまして、以後、移動の自由を手にしてからは(車で一人で行ける映画館ができてからは)、二回ずつ劇場で見ております。
自分が惚れ込んだものは、何故かメジャーにならない(解散する・廃盤ないし絶版になる・営業不振で契約切られる)という傾向にあるよーのすけとしては、結構うれしい事件でした。
▲先頭記事
やっと医者通いから開放されましたわい。
なんと10ヶ月。
長かったわあ。
結局のところ、捻挫が治ったあと、かばって歩いていたところが疲労で炎症を起こしていたらしいんです。
疲労骨折を起こしやすい、内くるぶしの上あたりが、緊張で異常に運動していたらしい。
とはいっても、長い間下に降りなかったせいで、股関節回りが固くなっちゃっているし。
正座ができなくなっちゃった。
まあ、足首を伸ばした状態で体重かけるのがヤダ、というのもさることながら、フトモモの前の部分が痛くて伸びない…。
やれやれ、信じられないや。
歩行器もドック入りしてるし、まずは上手に転ぶ自信を付けねば。
▲先頭記事
ページがこうも増えてきて、おまけにいろいろ移動していると、リンクミスをチェックしきれなくなるんです。
検索サイトが、変更を反映してくれるまでには、数ヶ月かかったりするので、当分元ページは残し、新ページにジャンプするようにしているんですが。
こうすると、リンク切れソフトでチェックをかけても、リンク切れが検出されなかったりして。
同じファイル名のページだったりすると、とんでもない場所にジャンプしたりもするんです。
で、掲示板を2代目にして、リンクを切ったはずなのに、どこかつながっている場所があって、ずーっと探していたんです。
ようやく、元栓は、このぼやきだったことが判明。
変なトコに飛ぶぞ、っていうリンクあったら、こっそり教えて下さいね。
▲先頭記事
家人に頼まれて、カセットテープからカセットテープへというダビングをしました。
15,6年前まではカセットテープからカセットテープへのダビングは良くしてましたし、ダブルデッキのカセットレコーダなんてもんもあったんですが、今や、CDからテープへ、くらいしかしないので、二つのカセットテープを前に、どうしたもんかと考え込んでしまいました。
多少編集をしないといけないような状況だったので、マスターを一度MDに落として編集し、それをテープにダビングし直しました。
コンポとMDをコードでつなぎまして。
よーのすけ、デッキを机の向こう側に置いてあります。
MDは、机の上。
MDの操作は細かいので、座った安定した状態でないと操作出来ないものですから。
テープはといえば、録音状態が悪くて、MDがわとテープレコーダがわの出入力を調整しつつの作業となりました。
これがまた。
机の回りをくるくる行ったり来たりで。
最大の原因は、リモコンの出来にあるんです。
このデッキ、いまいましいことに、録音は本体操作しかなく、本体では入力レベルの調整が出来ない。
リモコンだけでも本体だけでも作業が出来ず、結局本体の側にリモコンを持っていかないと、作業が出来ない、という、間抜けな状態。
リモコンを机のこちら側に置き忘れては、くるっと取りに回っています。
一体、何のためにリモコンと本体を分けたんだかさっぱりわからない。
いっそ、リモコンない方が、なくならない分だけいいんじゃないか、って思えてきます。
こういう、「なんだかなあ」と思う製品を見るにつれ、つい、「何だかなあ」と思う車椅子系設備と重ね合わせてしまう、よーのすけです。
▲先頭記事
先日行ってきた展覧会です。
もう少し早い時期に行っていたら、少し長い論評を付けて、「おススメです」と言っても良かったのですが、何せ会期があと2週間程度しかないもので。
外出レポートは制作中ですが、設備状況のみ先に出しておきます。
最寄り駅は地下鉄丸の内線竹橋駅です。
車椅子ユーザーとしては、ここでの下車は、無理ではありませんが、おすすめはしません。
新規改装オープン記念として催されたこの企画、20世紀日本をテーマにしています。
19世紀末から20世紀の最後に至るまでの、代表的な作品を大量に展示しています。
平面・立体双方にわたる展示です。
この膨大な作品群を、いっぺんに見られる、というだけでも価値があると思います。
とかく20世紀の芸術、というと、まあたいていの人は、「具象から抽象へ」・「だんだんわけがわからなくなっていく過程」というイメージを持つでしょう。
よーのすけも、実は同じです。
しかし、この企画展は、そうした「現代芸術」に至る流れを、感覚的に感じ取ることが出来るものでした。
19世紀末、写真の発明によって、根本的な存在意義を問われて以来、西洋絵画は、絵画は「何を描くべきか」ということを問いながら、様々な実験を開始することになります。
その結果、20世紀芸術において、作品は次第にそれが自明に持っていた意味を解体していかさせるをえず、その結果、「現代芸術」は、わからなくなるという運命を持つことになったと言えます。
20世紀のもたらした多くの悲惨さ、とりわけ2度の世界大戦により、Art、すなわち、人がものを作るという行為、そして作り出されたものそのものの意義が、さらに問われ、ついには、「意味づけの破壊=芸術」という傾向を促進したのはいうまでもありません。
しかし、他方で、こうした解体されていく作品群を見ながら、そこにある種の閉塞感を感じるのも確かです。
具象から抽象に行く中間期に、コラージュの展示が挟まれていました。
抽象への前哨戦として、コラージュを見たとき、よーのすけが連想したのは、メタファー(隠喩)に満ちた西洋中世絵画だったのです。
一つのテーマを現すために、イメージやシンボルを寄せ集めて、何かを現そうとするという点は、メタファーもコラージュも共通しています。
コラージュでは、一つ一つのアイテムはシンボルとしての意味をまだ持っています。
そしてその意味は、人々が一応共有していることが前提になっています。
「現代芸術」は、そのアイテムの意味の共有すら拒もうとしています。
その反面、そこには多くの意味が込められようとしているのは見て取れます。
他者と意味を共有することを拒否する一方、内面的メッセージを強烈に発信しようとしているという、矛盾した欲求。
ここに、閉塞感と絶えざる欲求不満に満ちた現代の位置を見たような気がしました。
さて、こんな面倒なことを考えながら見なくても、「あー、これ、昔教科書で見たー」と、わめきながら見ても十分楽しめました。
何で、こんなにあるの、っていうくらい、誰でも知っている作品が並んでいます。
わけてもたまげたのが、高村光太郎の「手」。
中学校の美術の授業で必ず課題になる「力強い手」というテーマのサンプルに出てくる作品なんですが、覚えていますか。
その他、黒田清輝の「湖畔」とか、東山隗夷の「道」など、どっかで見たことがある作品のオンパレード。
ついでに、最近流行のお宝鑑定番組で、いつも贋作が出てくる掛け軸画家のホンモノなどが見られます。
また、日本画壇の恥部とされて、長い間封印されてきた、「戦争画」も見ることができます。
「未完の20世紀」〜3/10(日)
国立近代美術館 北の丸公園入り口(竹橋・毎日新聞本社ビル向かい)
身障者手帳で本人と付き添い1名まで無料
▲先頭記事
冬といえばスキー。
最近では滑りもののバラエティも増えてきて、怪我のパターンがバラエティに富んできたとか。
それで、心配になった全日本スキー連盟が、去年の2月に統計を取ったんですと。
それによると、リフト使用の延べ人数に対する怪我人の割合は0.01%、つまり、1万人に1人の割合なんだそうです。
さて。
この数字に対して、脳性マヒの出生率は、0.1%、つまり1万人に1人。
スキーやスノボでコケて病院にかつぎ込まれるより、確率10倍も高いとは思わなかったねえ。
なんとまあ。
びっくりだと思いませんか。
▲先頭記事
美術館や博物館、あと、デパートやディズニーランドなど、車椅子備え付けられているところ結構ありますよね。
先日行った国立近代美術館なんか5台くらい置いてありました。
さて、美術館の展示、車椅子で回ってみるとよくわかるのだけれど、見難いんですわ。
首が疲れるのは、まあ我慢するにしても、車椅子の背丈って、天井の照明がうまい具合に映り込むんだなあ。
美術館によっては、ガラスに映ったライトしか見えないこともあります。
一つ手前の絵の前から見ると光らないのだけれども、正面に来ると、やはり、ど真ん中が白く光ってしまう。
ガラスのない額だと一部だけ、ガラスが入っているとまるきり見えないとか。
間接照明を工夫して、配慮する美術館もあるという話なんですが、まあ、うまくいっている例には、まだあまり出会ってません。
無反射ガラスとかってないのかしらん。
で、よーのすけの場合、車椅子メインの生活になってもしばらくは、道中は車椅子を使い、美術館ではロッカーに車椅子を預けて、展示は歩いて見て回っていました。
今ではもうそんな根性なくなってますが、車椅子で受付に行って、よっこいしょ、と立ち上がって、車椅子を預けると、受付の人は「???」という顔をしてたもんです。
車椅子で、電車に乗ったりするのが、当たり前だと思う人にとっては、しんどくて長い道中を車椅子て座って行き、平らで歩きやすい館内、しかも立ってみないと見えない展示をした館内を歩く、というのは、きわめてまっとうなやり方だと感じられるのですが、一般人の感覚ではそうはならないらしいです。
車椅子で美術館まで来て中歩き、と、歩いて美術館まで来て中車椅子を選択せよ、と言われると、(どっちもヤだろうけど)後車を選ぶみたい。
この辺の差が、自分の足で走り回る人が作った車椅子ユーザー用施設なるものが、しばしば醸し出す怪しさの原因なのかもしれないぞ。
▲先頭記事
スキーの骨折率1万人に1人。
脳性マヒの出生率1万人に1人。
これじゃあ、おんなじじゃんかあ。
リフト使用の延べ人数に対する怪我人の割合は0.01%で、1万人に1人の割合。
この数字に対して、脳性マヒの出生率は、0.1%、で1千人に1人、だよね。
でないと、スキーの怪我人より、脳性マヒの方が10倍多いぞ、びっくり、っていう話になりませえん。
で、1千人というユニットを考えてみました。
少子化の進む前のよーのすけの世代だと、ちょっとしたマンモス校だと1千人超。
大規模な私立大学だと1万人でしょ。
たとえば後者の場合、自分の他にあと9人いないといけないんだけど、見たことないなあ。
スキー場で診療所に駆け込んだ話は聞くけどね。
スキーの怪我の場合、目立つのはせいぜい1ヶ月でしょ。
脳性マヒは、60年とか70年とか脳性マヒなんだから、実数はもっと多くなるはずだし。
脳性マヒに関しては感知しやすいレーダーを持っているよーのすけだけど、それでも感覚的に納得行かないもんがあります。
どういう統計をしているのか、アメリカだと、0.2%とか0.3%とかっていう数字が出てるらしいし。
でもこの数字、スキーは危ないからよしなさい、という忠告を退けるにはいいかも。
出生時の怪我よりかは確率少ないとか言って。
(ブラックに過ぎるけど)
▲先頭記事
日本では、どういうわけか正式書類には自書捺印。
必ずはんこっていうやつがいりますね。
サインとはんこが両方必要で、かつ本人のしたサインよりもはんこの方が信用される。
だからこそ、計画的熟年離婚で、こっそりダンナの口座から、カミさんが自分の口座へ貯金を移して準備を整える、なんてことも出来るわけですが。
で、このはんこっていうグッズ、実はユニバーサルデザインじゃないんだ。
手のコントロールが効かないと、はんこって、印影鮮やかには押せないんです。
いや、半欠けとか、二重三重のぶれぶれ印影なら押せるよ。
でも、それじゃ、印影判定できないんでしょ。
ペンを持って、サインをするのと、はんこをポンと押すのって、普通どっちが楽だと思われているんだろう。
よーのすけ、字は人並み?に書けるけど、はんこはなんとしてもだめなんです。
で、ちょっとだけ手が悪い祖母もはんこがうまく押せなくて、他の家人が留守だと、よーのすけちゃん、はんこ押してくれない?なんて持ってくる。
実際、サインして、って言われて肩に力を入れる人はあまりいないけど、「私、はんこ押すの下手だから、きれいに押して」って頼むと、例外なく皆、肩に力入れて緊張するもんね。
「私も苦手だから」って言われたりして。
はんこ押せる人って、字を書ける人より少ないんじゃないかと思うんだけど。
−−はんこは、誰かに押してもらえる。
だから字が書けないほどの障害があっても、簡単にいろいろな手続きが出来る。
−−
一見、もっともらしいでしょ、この意見。
でも、逆に言えば、はんこを押してくれる信頼できる人−どさくさまぎれに別の書類にはんこ押したりしない人−がいないと、よーのすけは何もできない、ってことになってしまいませんかね。
しかも、私が押したはんこも、あなたが押したはんこも、両方同じく、私が押したはんこと見なされてしまうんですよ。
あなたが私に代わって手続きをしました、というのとは、全然違う。
自ら出向いて手続きをすることが難しい、という現実を考えたとき、はんこだけ持っていけば、本人と見なされる、というこのシステムはまずいんじゃないかなあ。
委任状だって、その正当性を照明するのははんこなんだしさ。
▲頁頭へ
Yoonosuke Hazuki[MailTo_ocean@mbc.nifty.com]