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ぼやっきいなよーのすけ 2002/08

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2002年 8月 1日 (木) 22時42分 のぼやき日本の夏。 車椅子の夏。

毎日暑い日が続いています。
さすがに暑くて、クーラーの効いた仕事場に日参しています。
さて、この時期、冷房の効いたところから外へ出ると、車椅子に一瞬にしてみっしりと露が降りるんですよね。 ハンドリム、滑る滑る。 部屋だけ冷房効いていて、廊下は冷房なかったりすると、タイヤも滑る滑る。 「高温多湿」を実感できまっせ。

もっとも、よーのすけ、仕事場に車椅子では入れないトコなので、廊下に車椅子停めてますが、ここ、西日ばっちり日当たり抜群なのだ。 車椅子の熱いこと。
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2002年 8月 3日 (土) 19時1分 のぼやきわたしゃも少し背が欲しい〜

 人と立ち話をするとき、車椅子ユーザーはくたびれます。 何せほとんど天井向いて声出しますんで。
 上から下に投げ落とすのは楽ちんだけど、重力に逆らって下から上へ声を投げ上げるのは倍の力がいりますから。 (←嘘です。 本気にしないように。 )
 へそのあたり狙って声を出しても届きませんので、声がデカイ人がうらやましいですね。 脳性マヒ系は言語障害、脊椎系損傷の人は腹圧が弱いので、車椅子ユーザーでデカイ声自慢の人はあまり多くありません。
 だからといって、福祉士系の教科書にあるみたいに、しゃがんで話しされるのも、何げに、こども扱いされているみたいでヤなんだよねえ。 相手方も、しゃがんだとたんに口調が変わったりして。
 立たれると疲れるし、しゃがまれるのも気にくわない。 八方塞がりだね、こりゃ。
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2002年 8月 4日 (日) 20時42分 のぼやきバグと仕様

 玄関のページ、IEとネットスケープ4で確認してましたが、このほどMozilla6、つまりNetscape6のモジュールで見てみたら、文字がばっちり重なってまして。 こいつはいけねえ、と、またタグ組みを変えました。 下手をするとデザインごと変えないと駄目かも?と心配しましたが、幸いにして、1属性足すだけで済みました。
 最近Netscapeでブラウジングしていると、バラバラの重なり合いだらけになってしまうページが相当数あります。 IEでしか表示確認を取らずに流すからです。 たしかに、Netscapeの表示バグの多さは誰しもが認めるところです。 しかし、それとともに、IEで表示されてNetscapeで表示されないと、Netscapeのバグ、IEで表示されなくて、Netscapeで表示されるとNetscape特殊のタグゆえ使わないこと、なんてなっている傾向がなきにしもあらず。 多数派だと、バグでも「仕様」、少数派だと仕様でも「バグ」になっちゃいます。
 ハンディキャップだの、バリアフリーデザインだの、も、似たようなトコがありまして。 たまたま二足歩行をする人が多数派なんで、階段や和式トイレが、「バグ」じゃなくて「仕様」と見なされてるだけだったりします。 車椅子ユーザーから見たら、絶対「バグ」だと思うけどね。 人間がみんな足の代わりにタイヤが付いたローラースケーターだったら、今の建築様式、あり得ないはずだもん。
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2002年 8月 8日 (木) 17時4分 のぼやき編集後記:丸ごとダウンロードファイルを改訂

しました。
最初差分だけを提供するつもりだったのですが、LZH圧縮はWindowsだけ、MacやUNIX系では展開できない、という噂を聞き込んだので、汎用性が最も高いと言われるzipに変えることにしました。
自己解凍書庫は、どうせWindowsでしか実行できない可能性が大なので、LZHを変換です。 LZHの方が、扱いやすいですからね。 いきなり実行したりしませんし。
でも、この話は、どこまで本当なんだか。 情報源は、HTMLタグの本なんですが、Webで探すと、どうも必ずしもそういうわけでもないらしい。 日本国内で、最も一般的なのがLZHと認識してましたし、それは間違いないようなんですけどね。 これだけ普及してて、他のOSがフォローしていないとは思えないのですが、互換情報が出てこなくて参りました。 メモリが少なかった頃、とりあえず、何でもLZH圧縮をかけてバックアップしてたもんですが…。

で、ダウンロードファイルを2種類にした結果、とうとう、レンタルスペースがパンクしました。 わはは。 アップロードできなくなりましてね。 何事かと思いました。 とりあえず不要なファイルを削除しましたけど。 差分の方は、しばらく置いたら削除しますので、お早めにどうぞ。
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2002年 8月 11日 (日) 16時21分 のぼやきキーボードの配列

 現在、よーのすけは2台のノートパソコンを常用しています。
1台は、自分で買ったサンヨーのサブノート。 いま1台は、父から下げ渡された富士通のA4ノート。
サンヨーは、ほとんど一目惚れで買った、というか、こちらの条件をほぼ完璧に満たしたという、世にもまれなパソコンです。 ま、さすがはサードパーティだけあって、銀パソなんですが、あちこちはげて来ちゃいましたし、キーも所々外れかけたのもありますが、打ち心地かとてもよろしい。 よーのすけの場合、パソコン買うにあたって、一番重視するのは、スペックよりも何よりも「キーボード」です。 ほかのものはオプション付ければどうにかなりますが、キーボードだけはね。 別売りのキーボードは、総じて大きいし、打ち込みが深すぎ・重すぎてて、今ひとつペケ。 ふわふわで浅いキーボードがよーのすけは好みです。 これでマウスも苦手じゃ、ということになると、キーボードのデザインは、とっても重要なことです。
 さて、サンヨーのサブノートは「手触り重視」といううたい文句に違わず、B5サブノートだと言うのに、キーピッチは大きいし、Fnキーによる切り替え無しのフルキーボードだし、手探りで打っても間違いづらいでこぼこしたキーボードの配列で、とてもいいんです。 よーのすけのキーボード条件、というのが、PageUp, PageDownがあること、カーソル移動キーがダイヤモンド型に配列されていること、ALT,Ctrlキーが左右に付いていること、なんですが、この条件満たすキーボードって、ないんです。 最近のノートパソコンのキーボードは、キーボードを真四角の中に詰め込もうという傾向があって、キーは小さくなるわ、手探りで探すとわからないわで、かなり迷惑。 今この文章を入力してるのは富士通のA4ノートなんですが、打ち間違いの多いこと。 よーのすけ、カナ入力してますんで、端っこのキーもよく使うんですわ。 右シフトなんかしょっちゅう使います。 これがカーソルキーの中に埋もれてしまっているので、いちいち目で確認しないと、打てないのよね。 使える指に限りがあるので、ブラインドタッチは絶対できませんから、手探り打ちをしますし、コントロール悪いので、シフト、ALTなど、「ながら」前提のキーは大きくないとマジに困る。
 というわけで、今、とってもストレスたまってます。 キーボード、自分でデザインしたいです、私は。
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2002年 8月 17日 (土) 23時53分 のぼやき障害者仕様の道具 その1

 もう10年以上前になるでしょうか。
マイク付きの電話機が発売されたときのこと。
当時、サンヨーのCMを所ジョージがやっとりました。
で。 寝袋か何かに潜り込んで、手も足も出ない状態で電話に出ないといけない、というシチュエーションでじたばたとしてる、なかなか秀逸なCMを流していました。 ところが、どう勘違いしたのか、「障害者を傷つけるものである」というクレームがけた人物がいまして、ボツになりました。
「てぶらコードるす」というこの商品、そんなクレームでCM第1弾は打ち切られましたが、そのおかげなのか、それ以上に秀逸なCMを次々に送り出し、大ヒットCMとなりました。
 障害者のよーのすけとしては、どこがどう問題表現なのか、理解しがたいもんでしたが、クレームを付けた人、この商品と障害者が結びつくと考えた限りでは、かなり的は外れていましたが、正しかったようです。
というのは、この手ぶら機能、手元不如意の障害者系にとってはとっても便利な機能なんです。 当時、すでに、手を使わないで話しができる電話機というのは確かに存在していました。 NTT(電電公社でしたっけ?)が開発して、障害者世帯に提供してましたが、これがもレジスターぐらいある巨大なシロモノ。 それが、サンヨーがてぶらコードるすを開発して以来、ほぼ全ての電話にスピーカーとマイクロホンが付いて、今や小さなケータイでさえ、手放しで通話ができるんですから。 おかげで、よーのすけも電話かけるのが、ちょっと嫌ではなくなりました。
 道具というものは、およそ普及しないと洗練されないものです。
 もう遅いので続きは明日。
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2002年 8月 18日 (日) 19時34分 のぼやき障害者仕様の道具 その2

 道具というものは、およそ普及しないと洗練されないものです。 (昨日の続き)
 
 電話機のてぶら機能だって、絶対に最初は上肢障害者のことなんか考えていなかったでしょうし、今でもそうでしょう。
しかし、「障害者仕様」として開発されていたときに比べたら、はるかにきめ細やかで使いやすいものになってます。
聴覚障害者向けだったボリューム調整機能や光る電話なんてのも同じです。 かつてNTT(電電公社?)のカタログに載ってたのは、これまた電話台が潰れそうないかにも「キカイ」って感じでしたもんね。
上肢障害者が文字を書くための道具であるワープロだって、一般に普及したときに初めて、「普通に使える」ものになって、かつ、使いやすくなるわけです。
 問題は、そういう道具類が、いわば進化の袋小路に入っちゃったとき。 他製品との差別化を図るわりには、大した違いも打ち出せず、結果的に、アイデア倒れのシロモノばかりになることがままあるんですわ。 しかも右肩上がりを要求する資本主義システムの宿命で、絶えず売り続けるためにデザイン変更しますんで、あ、これだ、と思っても、それがいつまでもあるということはまずない。 みんなが使いにくいなあと思いつつ、実は選択肢がない、という状態になりますよね。 この選択肢がない、という状態が、障害のある人々にとっては実は致命傷なんですよね。 そう「障害者仕様」の欠点はまさにこれなんです。 選択肢を提供するかに見えて、実は選べるものが一つしかない、という意味なんです。
 ユニバーサルデザイン、というのは、「誰でも使えるもの」を作ることではなくて、「誰かが使えるものをいろいろ作ること」なんじゃないか、と思ってます。 その意味では、規格化、というよりも、多様化なんでしょうね。 今までのデザインの範囲は、健常者文化の範囲内で「新しさ」を創造するものでしたが、ユニバーサルデザインという考え方は、むしろ、文化の範囲を異なる肉体を持つ人々にまで広げるという意味で、創造力をより自由に飛躍させなければならないのかもしれません。 そう、これまでのセンスを越えるほどに。
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2002年 8月 20日 (火) 20時47分 のぼやき障害者仕様の道具 その3

今までのデザインの範囲は、健常者文化の範囲内で「新しさ」を創造するものでしたが、ユニバーサルデザインという考え方は、むしろ、文化の範囲を異なる肉体を持つ人々にまで広げるという意味で、創造力をより自由に飛躍させなければならないのかもしれません。 そう、これまでのセンスを越えるほどに。 (一昨日の続き)

 古い建物の再建に励んでいたヨーロッパの建築家の話を、かつて聞いたことがあります。 ご存じのように、ヨーロッパは古い建物を大変大事にします。 100年以上経たないと、建物としてのステータスが認められないほどです。
 この人は長い間、そうした古い建物の保存と再生に努めてきた高名な建築家であり、建築史の研究者でしたが、あるとき、事故で車椅子ユーザーになってしまいました。 そうしたら、これまで彼が中世の様式を継承して建ててきた、美しい建物に全くアクセスできなくなってしまったのです。 そのとき、彼は、大きな課題を発見します。 彼の意識のうちには、数世紀に渡る伝統の中で培われてきた美に対する意識が確固としてあります。 それは、自らの身体がどうなろうと揺るぐことはありません。 しかし、他方で、そうした美意識が、自分自身を含めたある特定の属性を持つ人々の排除の上に成立していることにも気付きます。 彼は、そうしたヨーロッパ伝統建築の担い手として、継承した伝統の新たな発展方向指し示すことに、自らの課題を見出した、と、締めくくっていました。

 「アクセスへの権利」という形で、合理的な観点から、開発と改造を進めていくのは、確かに即効性があります。 今現在、現に立ち往生に見舞われるよーのすけとしては、「よけいなこと考えんと、とっととやれ。 」と一喝したいところではあります。 しかし、他方、こうした「ユニバーサル化」は、従来の文化的伝統に対する挑戦であり、新しい価値、新しい美の創造と切り離すことができません。 建物で言えば、美しい階段に代わる美しい何ものかを探し出さなければなりません。 おまけにエコロジーの折から、全て電化・自動化でおっけーというわけにも参らないでしょう。
 現在「バリアフリー」といわれている様々な動きに、このスケールの大きさを意識している人がいてくれるといいんですけどねえ。


…あかん。 ぼやきだとは言い難い話の展開になってもた…。
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2002年 8月 25日 (日) 21時52分 のぼやき忘れ物

 世の中には、すごい忘れ物をする人がいるらしいです
 たまたまテレビを見ていたところ、電車の中の忘れ物を特集していまして。 世の中、車椅子の忘れ物なんてのがあるんですねえ。 冗談では、よく、車椅子忘れてきたりして。 」ないて言いますけれど、ほんとにいるとはね。 落ちていたのは、階段の踊り場だとか。 車椅子には一番ふさわしくない場所ですよね。 量販タイプの車椅子でしたけど、階段の途中まで持って上がって、どうしてそこで止まっちゃったんでしょうね。 力尽きたのかな。 階段の下、とか上、というのならわからんでもないけれど、何で踊り場なんでしょう。
 もっと不可解なのは、義足。 …足ですよ、足。 靴なんてんじゃないですよ。 まさか、履いてた義足じゃないでしょうけど。 足を外してそのままうっかり車外へ…、まさかぁ。 それにしてもああいうなくなったら即困りそうなオーダーメード品、落として探さないケースってあるんですね。
 よーのすけの場合、歩きで移動していた頃、階段上がってきたら、おいてあった装具がない!ってことはありましたけど、さすがに車椅子なくしたことはないです。 でも、やりそうで結構怖いのが、誰かの車に乗せてもらうとき車椅子を積み忘れた!とか、積み替えた車椅子を戻すの忘れた!っていうやつ。 同行する人が皆異性だったりしてごらん、トイレにも行けなくなってしまいます。 後部座席に人を乗せるため、車椅子をトランクに入れて、そのまま忘れて出掛け、車椅子を出せなくなってうろたえた、ってことはありますけどね。
 車椅子が自分の生命線だということは、重々承知しているつもりなんですが、いつもそばにあるせいか、忘れてますね、よく。 でも、さすがに、それで、「どこやったっけ」と叫ぶことはないです。 「しまった、あそこにやったままだった」、とすぐ思い出しますね。
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2002年 8月 28日 (水) 22時16分 のぼやきプリンタなんて大嫌いだあ

 パソコンは決してキライではありませんが、昔からプリンタとは相性が悪かった。
ワープロ時代は、あれはプリントアウトしてナンボのものですから、あれこれプリントアウトしては遊んでましたが、パソコンになってからは、プリンタを持っていなかったせいもあってあまりプリントアウトをしてません。 というか、割と早いうちからデータベース形式で書いていたので、プリントアウトすることに意味がなかったんですよね。 お下がりパソコンでパソコン生活始めたので、当時出ていたワープロソフトがまともに走らなかったせいもあって、最初からエディタでもの書きしてましたし。
 普段滅多にプリンタ使わないもので、いざプリントアウトしようとすると、どうも勝手が分かりません。 使ってないから、自分のは大概調子が悪くなってるし。 みんなが使っている仕事場のプリンタというのは、なぜか締め切り間近で急ぎのプリントアウトしようとすると、必ず壊れてたし、これはもう相性が悪いとしか思えない。
 先日、親父にビラ作りの仕事頼まれまして、グラフィックソフトで美しいデザインを作り、ワードに読み込ませて、文字を入れて、高品位インクジェットでプリントアウト、完璧ぃ。 …のはずが、なぜか横ジマだらけ。 グラフィックデータを直にプリントアウトしてみると、キレイに出る。 それで、文章をエライ苦労してグラフィックデータ化したりしたけれど、それでは、文字がカタガタでボツ。 こうなりゃ、必殺TEXのお出ましを願うか、と思ったけれど、マニュアルを仕事場におきっぱなしにしてた。 結局文字を切り張りして仕上げる、という、同人誌のマンガ的手法を取るしかなかったんですが。
 で、やれやれと仕上がったぁ、とほっとしていた一週間後、重大な校正ミスが発覚。 ぶちぶちぶちぶち…と文句を言いつつ、とりあえず文字分だけでも…、とワードの分をプリントアウトしてみると、れれれ、今回はものすごくきれいに出て来ました。 あの数日間の苦労って、いったい何だったんだ。
 プリンタなんて、でえっきれえだあぁぁぁ。 くすん。
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2002年 8月 29日 (木) 22時34分 のぼやき福祉機器、だれぞ発想の転換を

 こういうサイトを作ってますと、結構ベンチャー系の企業からご案内メールをいただきます。
ムフフ系のDMはともかくとして、一番多いのは、当然福祉機器系、次いで、「本作りませんか」っていうやつ。 サイトの性質からしたら妥当でしょう。 ま、このサイトは気の向くまま風の吹くままにさまよい歩き、どこへ行くかわからない、という不定形を取るからこそ書けているんで、とてもじゃないけど活字にしようとは思ってませんけどね。
 さて、ひと頃はベンチャーといえば情報産業ばかりでしたけど、最近はそれに、福祉産業が加わってきました。 脱サラして、福祉系事業始めました、とか、地域振興事業に福祉系産業を始めました、なんていうDM多いですよ。 DMいただいた場所には、一応出掛けていきますです、はい。
 ま、なかなか本格派福祉機器ということにはならなくて、老人介護用品に分類されるものが圧倒的なんですけどね。
 なんというか、こういう品々って、なかなか目を見張るような大発明、というか、発想の大転換、というのがないんですよね。 なかなか決定打が出ないように見えます。 なまじ日常にごく近くて、逼迫したものばかりのせいでしょうかね。 現在、あっと驚くヒット商品を生み出すためには、その使い方を含めたライフスタイルまで提案できないと駄目らしいんですが、福祉系機器はまだまだそこまでできないようです。 まあねぇ、今のところ、商品開発者は圧倒的に健常者だし、障害を持つ人々に、エラソーにライフスタイル提案できる健常者がいるとはちょっと思えないし、発想転換しようにも、開発者の発想自体があやふやっぽいのでは、転換しようがないのかもですが。 あやしいトイレの数々を見たまえ。 転換する前にひっくり返ってますもんね。
 それにしても、その、何か一つくらい、我々のライフ環境が一瞬にしてひっくり返るような(いい方向によ、もちろん)、あっと驚く大発明ってできないもんだろか。
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車椅子で彷徨えば扉
Yoonosuke Hazuki[MailTo_ocean@mbc.nifty.com]