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ぼやっきいなよーのすけ ☆ 2001年12月

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2001年 12月 2日 (日) 18時5分 のぼやきウィルスの余波 ぶつぶつぶつ…。

 1,2日前から、ウィルス関連のメール、つまり、「感染しちゃったから、ウチからのメールを開くな」、というメールが来はじめて、ちらほら感染メールが舞い込むようになりました。 よーのすけ、ある種類の人々の間ではチョー悪評高い、OUTLOOK EXPRESSはインストールすらしていませんし、ウィルス駆除ソフトも絶えず定義更新していますので、メール関係はそんなに危なくないのです。 一度だけ、しくじったことがありますが、幸い、ウィルスの方がハングアップしてしまって、被害は未然に防がれました。
 ついひと月ほど前まで、JAVAスクリプト切り・ネットスケープ党だったので、ますますウィルスとは縁遠かったのです。 しかし、ネットスケープのあまりの起動の遅さに閉口して、IEのエンジンを使ったフリーウエアのブラウザに切り替えました。 それで、IEのセキュリティホールが気になってきたので、えーい、しょうがない、この際バージョンを上げるか、と、ブラウザのバージョンアップを試みました。
 それで、まず、「早くなった」といううたい文句のネットスケープをバージョンアップすることにしました。 インターフェイスはこちらの方が気に入っているので、これの起動が早くなればそれに越したことはないもんね。 で、インストールして…驚いた。 インターフェイスがすっかり変わってる。 いくつかのオプションもまるで効かなくなっているし、(いつものことだけど)起動全然早くならないし。 切ってあるはずのJAVAスクリプトを勝手に起動して、ネットスケープのサイトにつなごうとするので、そこで止まっちゃうし。 ネットスケープ、3から4に変わったとき、ネットスケープ特有のインターフェイスがなくなって、IEみたいになってしまい、腹立てた記憶がありますが、今回とうとう使い物にならなくなりました。 仕方ない、アンインストールして、バージョンダウンせねば。 ネットスケープ、絶対何か勘違いしているぞ。
 で、しょうがないから、IEを5.5に上げることにしました。 これはもう、最低限のコンポーネントのみインストールにしました。 ま、このおかげで、使いたかったけど使えなかったブラウザが動き出したのはいいのですが。 やっぱりちょっと思いがけない動作をしてくれます。 これも、ホームページローカルに指定してあるのにも関わらず、起動と同時にマイクロソフトのサイトにつなごうとするしね。
某ソフトがレジストリに書き込んだ設定が、今まで無効だったのに、有効になっちゃったりもしてるらしくて、思いがけない動作しよるし。
IE5.5では、このホームページ、一部表示がばらけていたのも発見。 HTML表示の仕様まで変えないで欲しいよ。
その上、どうも、このバージョンは、セキュリティホールの埋まっているSP2じゃないような気がするし。 バージョン表示、更新バージョン:0とか書いてるんだもんね。 マイナーバージョンは、どこに書いてあるんだろ。
私ゃ、ほとほと参ったよ。
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2001年 12月 3日 (月) 19時24分 のぼやき 意外に気付かない話

 我が家、食卓入れ替え中でして。 ただいま、応接セットのテーブルに、角材を2本渡し、その上に天板を乗っけただけ、という、かなり不安定なテーブルを使っています。 (何故そうなったかはややこしいので聞かないように)
天板は、今時お目にかかれないような重たい物なので、ちっとやそっとじや動きゃしませんが、それでも、向こう端を支点にしてテコの原理で力任せに持ち上げればよーのすけでも持ち上がらないこともない。 全体重を預けて立ち上がるのはさすがにためらわれます。
 それで気が付いたことがあります。 よーのすけは、腕で立ち上がるのであって、テーブル頼りにするのわかっているので、大変慎重に体重をかけますし、別の物にも掴まって力を分散するので、テーブル浮かせて「きゃー」と叫ばせるようなことは、まずしません。 ところが、足でもって立ち上がっている他の人々の方が、立ち上がるときに必ずテーブル浮かせます。 そして、テーブルにいる人が何故「きゃー」と叫んだか、わかってないんです。 要するに、立つときに手をついて体重をかけてるということを、全く自覚していないんですね。 よーのすけなんか、掴まったテーブルが動いたら「きゃー」じゃ済みませんが。
 人間て、自分が何を支えにしているか、実は全然わかっていないんでしょうね。 特に、支えがなければないで、何とかなる場合、支えがあることにすら意識を向けないし、なくなっても気が付かないんでしょう。 椅子だけでテーブルがなくたって、彼らは椅子から立ち上がるでしょうし、そんな人からすれば、テーブルがしっかりしていないと立ち上がれない人間なんて、うざったいなあ、と思うんでしょうな。
 バリアなデザインてのは、このあたりから生まれてくるのじゃないか、と、私は思います。

このテーブル「きゃー」は、明後日、新しいテーブルが入れば収まるはず。
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2001年 12月 4日 (火) 19時24分 のぼやき 元の環境に戻す。

 一昨日、セキュリティホール埋めのため、ブラウザをバージョンアップしたけどぶつぶつぶつ…と文句たれていましたが、結局、元に戻しました。
だって、「画像OFFでネットサーフィンが出来ない」んだもん。
ケチといわれようがなんと言われようが、画像読み込んでると時間かかるもんね。 よーのすけに必要なのは、まず「文字情報」。 画像はどうしてもいるときだけ表示したい。 新バージョンのブラウザは、画像の枠も示さなけりゃ、代替文字列も表示しないのだもの、リンクがほとんど画像になっている昨今、画像OFFではボタンの位置すらわからず手も足も出なくなっちゃうよ。
でも、最近画像に代替文字列全く入れない人が増えてきたの、わかったよ。 そもそもブラウザが文字を表示しないんじゃしょうがないもんねえ。

というわけで、よーのすけ、IEのセキュリティホールは永久に埋まらない、ということになりました。 ひとすじにAntiViers頼みだわ。 これはこれで不安だなあ。
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2001年 12月 5日 (水) 19時9分 のぼやき あいうえお

凝り性でしつこい性格のよーのすけ。 本でも音楽でも、一度気に入ったが最後、八方手を尽くして探し回ります。
で、いつも手帳にリスト作って持って歩いてて、アクセスできそうなところがあると、とりあえず探してみるわけですが。
いつもいつも、店内でもとりわけ探しにくいところばかり見ているような気がする。 最近あれ?と気が付きました。 どういうわけか、よーのすけの探しているものって、本でもCDでも、「あ」行の人物のものばかり。 これ、車椅子ユーザーには、致命的。 だって、たいてい棚のてっぺんにあるから…見えない。 低い棚だけで構成されているのならラッキーですが、あいにくよーのすけの捜し物は、マイナーなものばかり。 そんな優雅なディスプレイしているお店にあるわけない。 低いディスプレイでも、背表紙上向きの上から覗く陳列棚だと、やっぱり見えない。
なんでまた、よりによってあ行の名前ばかり付けるんだ、私の趣味に合っているのに、と、理不尽なぼやきのよーのすけです。
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2001年 12月 6日 (木) 19時0分 のぼやき日記?なんですか

 先日、当ホームページ宛てに、さる学生さんからアンケート調査依頼のメールが届きました。 「日記」をホームページ上で公開することに関する心理学上の調査だそうで、その仮説や分析枠組み自体はまあ見当が付くんですが。
だけどさ、このホームページって、「日記」あると思います?
たぶん「日記」で検索をかけて、無作為抽出をしたら、「彷徨日記」がかかったんだろうと思うんだけど。 だけど、あのコーナーは、どっちかというと「突撃レポート」だと思っとりますし。 だいたい、あのページのために、私ゃ、外出するごとに違うルート・違うトイレを意識して使うようにしてるのだから、立派な調査だよね(笑)。
 毎日書いている、という点では、このぼやきがそうだけど、これも、日記という自己理解はしてないのよね。 身辺のことは、実は極力書かないようにしているんだから。 できるだけ、このサイトのテーマに沿った、使いようによっては情報になりうる「小話」をひねり出しているつもりなんですけど。 ちゃんとした「記事」とは別に直感的な形で。
 といいながら、最近、ネタが切れてきて、なーんか、身辺雑記みたいになっちゃってますネ。 「本の虫」の連載も、本当は、
 ・歩けないこと→外遊びが出来ない代替としての読書
 ・実経験不足を読書で補えるか
 ・歩けないことによる、読書の制約
なんてなところにつなげるつもりで書き始めたのに、あさっての方にとんで行ってるし。
 「WEB日記」の調査依頼のメールで、「日記には絶対ならないように」と思っていたコーナーが、「日記化」してるんじゃないか、と自己点検を迫られているよーのすけでございます。
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2001年 12月 9日 (日) 20時54分 のぼやき 若造の悩み

よーのすけは、まだまだ若造なんですが、この若造、えらい人ばかりの集まりに行くと、結構困るんです。 本当なら、お茶を入れたり、お使いしたりしないといけない身分なわけですが、どうしたって逆になるんです。 目上の人に、「すいません、私にもお茶下さい」と頼まなきゃいけない。 マナー界では考えられないこんなこと、どういう振る舞い方をすれば、自然かつお互いに気持ちの良い形をとれるか、ってことを、手前の頭で考えないといけないわけです。 マナーっていうのは、そういうことを考えないですますための決まりなんです。
障害を持つということは、ある意味、社会的秩序の外部に半身を置くことを意味しています。 で、その半身をこちらの世界に引っ張り込むときに、必ず既存の秩序を転覆せざるをえないわけ。 このとき、結構エネルギーを使うし、ストレスかかりますよね。 この転覆を、相手と自分にどう納得させるか、というのは実際、難しいよね。 自分の師匠筋の人々に、車椅子抱え上げてもらったりするんだぜ。 そんなとき、一体どういう顔をしてればいいやら。
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2001年 12月 10日 (月) 20時35分 のぼやき 短くぼやきたいのだが

 面白いことを短くまとめるって難しい。
一回分のぼやきがどんどん長くなってくる。 最初に比べるとたぶん平均して倍くらいになってます。
こまめに書く代わりに、短くという目標で始めたのに、長く・こまめにでは、一体何やっているんだか。
 そういえば、「本の虫」シリーズも止まっちゃってますね。
また、始めますか。
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2001年 12月 11日 (火) 21時44分 のぼやき 本の虫・図書室への階段

日本人学校に移ってから、ようやく日本語の本読み放題…のはずが、教室は2階、図書館は5階!。 開いているのは朝と昼。 スクールバスが到着するのが、開始10分前で、食事に時間がかかるよーのすけは昼一杯はご飯時。 だから、よーのすけの足ではとうてい利用できない。 で、どうしたか。 それは、「友達に適当な本を見つくろってきてもらう」。 ここでの2,3年、よーのすけ、自分の好みではない本ばかり読んでましたね。 今思うと、お使いしてた友達も、人の本選ぶの相当悩んだはずだよね。 悪いことしたよなあ。
小学校のころって、ほんとに活字欠乏症だったから、教科書も新学期にもらうとその日のうちに全部読んでましたね。 もったいないから、少し残しておこう、とか思いつつ、全部読んじまってましたなあ。
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2001年 12月 12日 (水) 19時19分 のぼやき やさしいひらかな

大学図書館なんて、行ったことあります?
ま、およそ察しの付くとおり、金文字か、ビンボー出版社だと白文字で、四角い漢字が並んだタイトルの黒い背表紙がきっちり並んでます。 (紛失防止とスペース確保のため、図書館はカバーを外して配架します。 普通サイズの本棚でも、カバー外すと1,2冊分くらいは確保できるよ。 )そのタイトルたるや、「何某における摩訶不思議」とか、「其氏的何某」てな感じで、「文学」の棚を除けば、ひらかななんかいっこもないぞ、の本棚がずらり並んでおります。
そんな中、「社会福祉」の棚だけは、妙に文学的なんだな。 「雨上がりのあとに」だとか、「虹を越えて」とか、気恥ずかしくなるタイトルの本が続くんだ。 今時、文学だってこんなタイトル付けないぞ、っていう感じの。 まあ、四角い文字ではすくいきれない生命をすくい取ろうとしたい気持ちは分かるのだけれど。 その一方で、何か「ナメてない?」という気がしないでもない。 なんでもかんでも「おもいやり」と「ふれあい」というひらかなでなんとかしてまえ、という発送とつながって…ないかなあ。 そりゃ言い過ぎや、と突っ込まれそうだけど、ね。
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2001年 12月 12日 (水) 19時21分 のぼやき 訂正

発送→発想 ですね。
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2001年 12月 13日 (木) 22時42分 のぼやき どっちが危ないよ

昼休みの混雑時に大学の構内に入ろうとしたところ、「昼休みは混雑するんで、避けてくれませんか」と言う。 こうなることを防止するために、歩道橋を造ったのだが、めんどくさがって誰も通らないんである。 車椅子が通行できないような設備は、やっぱりみんなめんどくさいらしい。
歩道橋を造ったがために、スペースが狭まり、車を通行止めにしたわけで、特定の車両だけ、車止めを外すことになっている。 狭くなったもんで、ますます道路に人はあふれるわ、業者のトラックは路上駐車するわで、混雑はますます訳のわからないものになっている。 新設の歩道橋を含め、完全に車椅子での移動が不可能になったので、「いつでも車止めは開ける」という話だったのに、早々ほころびが出て来たか。 ま、昼休みは危ないとは思っていたけれど、そう言われると意地でも昼休みに動きたくなるぞ。
「気を付けて下さいよ」とぶつぶつ言いつつ、それでも開けて、構内に入った。 ここ何年も、この混雑の中歩いていたんだからね、今に始まったことではない。 でも、気を付けつつ走っていると、横で係官がわーわー言っている。 「何」と、聞き返すと、「気を付けて下さいね」。 こっちに気を取られていたら、わっ、車の鼻先を人がかすめたの気付かなかった。 あんたの方がよっぽど危ないわい。 危ないと思うのなら、黙っているか、先導するか、どっちかにしてくれ。 横でわめくな、気が散るから。
何もかもことの軽重がひっくり返っちゃっているような気がするよ。
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2001年 12月 14日 (金) 21時20分 のぼやき もう冬支度したいぞ

夏の間、我が家は、風通しよくするために、居間と洗面所の間のドアを外してしまいます。 こうすると、クーラー無しで夏の間も快適♪。
いつもなら10月にはドアを入れるはず。 ところが今年は、よーのすけが、夏前にくじいた足のせいで、室内も歩行器使っているもので、歩行器分の幅を確保するために、外しっぱなし。 このドア、歩行器分開かないんです。

バリアフリーなんて言葉が出てくる前に建築した我が家。
車椅子ユーザーになるとは想定してなかったけれど、それでも、よーのすけがいるから、ってことで、極力無意味な段差をなくしてある…はず。 ドアの「敷居」は、すきま風が入るのでどうしても付けます、という大工さんの強い主張で取ってもらえなかったけど。
(ちなみに、日本よりはるかに寒いヨーロッパ諸国のドアには「敷居」はありません。 しかし建築にはとりわけ厳しいドイツなど、すきま風が入るようなドアを作ったら、大工の免許もらえないそうですが。 )
ところがさ。 このドア、敷居がないのに3cmほど段差があるのよ。 何でこんな無意味な段差付けたんだろ、と全部大工さんのせいにしていたのだけれど、その理由を母がふと思い出した。
我が家には、けた外れに分厚い中国絨毯(段通)があります。 この段差は、その絨毯分の暑さを考慮した段差だったらしい。 壁沿いに、ぴったり敷き込むはずだった。 ところが、実際に絨毯入れたら、全然高さが足りなくて。 それで、よーのすけが絨毯と、洗面所と両方でけつまずく、という家具の配置になったらしい。
目下の問題は、といえば。 それほどの段差があるにも関わらず、何故かドアが開かなくなっちゃってるということなんだな。 もちろん、ドアは高い方に付いていんですよ。 このドア、今では60cm程度しか開かない。 バリアフリー住宅の最低基準が80cm…でしたっけ。
このドア入れないと、めちゃくちゃ風通しがいいんだ、よーのすけの家。 いい加減に戸を入れたい…んだけどなあ。
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2001年 12月 17日 (月) 21時38分 のぼやき うふ。 (はぁと)

ちょっと奮発してデジカメ買いました。
ホームページ作り始めて以後、欲しいなとは思っていたんてすよね。 イラストレーションの「下書き」用に。
父のデジカメ時々借りたりしてたのですが、もともと写真好きの親父のデジカメ、本格的すぎて扱いが大変。 どうせこんな使い方ですから、機能的には「おもちゃデジカメ」で十分なんですが、よーのすけ、一応手にマヒありってことになってまして、光学ファインダーを覗けないんだよな。 双眼鏡も苦手だし。 しかも、小型化傾向に逆らって、小さいと操作が出来ない、と来てる。 (PHSも、「もっと大きいのないですかあ」っていう奴だもんね)
で、液晶付きで、操作性か良くて、省エネで…っていうのがバーゲンやっていたもんで、衝動買い。 ちょっとは、このサイト、画像が増えて華やかに…ならないでしょうな、たぶん。 写真そのまま載せるのは「芸がない」と思ってるよーのすけですので、「絵に描き直す」手間を挟みますからね。
 あ、でも、これで、「あやしい設備」のたぐいは、写真入りで紹介できます。
あほあほな設備を作っているキミ、覚悟しておいてね。
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2001年 12月 18日 (火) 22時 8分 のぼやき 編集後記

 ハンドコントロール車の説明なんぞしてみました。
下半身マヒ系障害者には珍しくも何ともない話だけど、健常者諸君には珍しいかな、と思って。
 ちなみに、この写真&写真機は親父の手によるものです。 昨日撮って、今日こんなに加工できるわけがない。
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2001年 12月 19日 (水) 22時51分 のぼやき ようやっと、床に降りました

 久方ぶりに、一人で床に降りました。 つまり、床に座ったってこと。
足首伸ばしてはいけない、という話だったので、膝がつけなかったんですよ。
物を落としても、「取ってぇ」と叫ぶしかなくて。 初めての「完全車椅子ユーザー」に近い気分。 ずっとコルセットはめていたから、足首の柔軟性がなくなってるし、内反・爪立ちにならないようにってかばう変な癖が付いていまい、靴履いて立つにも歩くにも、すごく違和感感じるし。 要するに「怖い」。
そんなこんなで家に籠もりきりだったから、上半身の力も落ちてしまいまして。
小一時間、ハンドル握った程度で、もう、首から肩が筋肉痛を起こし、頭痛が来てしまう、という…。 情けないったらありゃしない。 ちくしょ。
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2001年 12月 20日 (木) 19時20分 のぼやき 足の謎

 えーと、私、下肢マヒです。 実用歩行、出来ません。 運転時にアクセル・ブレーキも踏めません。 ミシンのフットコントローラーもダメです。
足の裏、指のコントロールがうまくいかないので、ちょっとごつごつしたところだと、もう指が反り返ってしまって立てませんし一歩も歩けません。
ああ、それなのに。
落っことしたタオル、鉛筆etc.何でも足指で挟んで拾えます。
脳性マヒ的障害の謎です。 (とことん行儀が悪いだけか?)
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2001年 12月 21日 (金) 22時 1分 のぼやき お金の出し入れ

 よーのすけ、銀行振り込みの用事がある度に大騒ぎします。
 どこへ行ったら、自分でお金いじれるか。 今のところ、必ずアクセスできる、っていう金融機関、近隣に1軒もないんだわ。 郵便局だけは、民営化だー!と騒いでいるおじさんがいるけれど、一応公共機関だから、身障者用駐車場とスロープが曲がりなりにも設けてあるところもある。 けれど、銀行はね。 当たり前だけど、まちなか・駅前のごちゃっとしたところに、ヤケクソみたいに押し込んであるでしょう。 路上駐車する隙間だってありゃしない。 そういうところの建物は、古かったりするから、階段はあるし、扉は重いし。
 建物に入れたとしてもだ。 あのATM、画面は見えないし、手は届かないし。
これは、郵便局も銀行も何故か同じ作りなんだよね。 「タッチパネル」って、車椅子の視点で触ると、とんでもないところ触ってしまうんです。 立ち生活の人、一回やってごらん。 絶対、1,2段違うところを押すから。 何か、やけに時間がかかるなーと思っていると、確認を促すメッセージが死角に入っていたりね。 機械操作にはどちらかというと自信のあるよーのすけ、コイツ機械音痴だな、と思われるのがシャクにさわる。 もっとまずいのは、お金、入れることはできるのだけれど、出て来たお金を取ることが出来ないんだ。 機械の向こう側にあるでしょう、お金の投入口。 投入口の入り口までは手が届くけれど、中までは届かないから。 その上、覗くことが出来ないから、お金が残っているのかどうかがわからない。
 で、どっか一カ所くらい、使える銀行欲しいよね、と、考えついたのが、そう、無店舗銀行。 ネットバンクとか、コンビニのATM使う奴。 郊外のコンビニは必ず駐車中あるし、平らだし。 口座作って、初めてコンビニのATM使ってみたところ、あれは、車椅子でちゃんと使えます。 パネルは高い位置にあるけれど、郵便局・銀行のと違って、垂直だから、車椅子がらちゃんと見えます。 さらに結構なことに、お金の投入口が、何故か低い位置にある−−あれじゃ立って入れにくくないか−−ので、手元で操作出来ること。 仕切も何もないから、不用心と言えば不用心だけれど、あのATMは使えますね。
 ATMは、視覚障害者も手こずるという話です。 いうまでもないことなのだけれど、貨幣経済で成り立っている今の社会では、お金を管理するということが、生活コントロールの要だと言っても言い過ぎではず。 なのに、そういうモノへのアクセスは拒まれてるとはね。 交通バリアフリー法で、切符の自販機はバリアフリー化が義務づけられるのだけれど、ATMは、バリアフリー化の対象に含まれないので、ATMはそのまま放置なんだとか。 何だかなあ。
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2001年 12月 23日 (日) 17時48分 のぼやき 車椅子の撮影会しました。

 新しいデジタルカメラで、早速、このホームページ用の画像のために、車椅子の「撮影会」をしました。 車椅子のポーズを変え、角度を変えて何枚もとるわけですが、モデルはきれいなおねえさんじゃなくて、車椅子ですもの、色気も何もありゃしない。
 撮った写真はそのまま使わずに、一度イラスト化してから掲載しますんで、ちと時間がかかります。 そうしないとわかりにくいし、当ホームページのカラーに合わないしね。 写真そのまま載せるよりは面倒ですが、何もないところから描くのに比べたら、正確だしずっと楽。 今までデタラメなスケールの車椅子イラストで図解していたので、そういうのもやっと直せます。
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2001年 12月 25日 (火) 15時24分 のぼやき 車椅子移動のイメージっていうのは…

以下、別に非難しているわけでもないし、腹立てているわけでもなく、「健常者って、面白れぇ反応するよなあ」と思っているだけなので、誤解なきよう。
よーのすけには、ローティーンの頃から所属しているある集まりがあります。 十代の頃は親及びそこのメンバーに送迎してもらってしましたが、車の免許取って以降は、自分で運転して、せいぜい、一緒に所属している妹くんを”助手席に乗せて”通っていたわけです。 それからもう十年以上になるんですが、未だに、「どうやってきたの。 一人で来たの。 すごいねえ。 」「夜なのに車で帰るの?(そら車で来たんだから乗って帰らなしゃあないやん)大丈夫?えらいねえ。 」と言われるわけです。 これから東名高速で日本縦断しておうちへ帰る、っていうのならともかく、これってかなり失礼だと思うんだよね。 もう何年続けてきていると思うんだ。 まあ、その気持ちわからなくはないけれど。 そうかと思えば「何時にどこそこ。 」だけ言って、あと知らんぷりする人もいるから、極端だよね。 そういう手合いに限って、「一緒に電車でいこう。 付き合って。 」と言うと、「え、車椅子で電車に乗れるの。 」とひるむんだから。 車が停められない会場用意しておいて、あに言うだ。
「どこまで自力で来られる?」とか、「手伝いがいるとしたらどこから?」とか、「ここは車椅子無理だから行くよ(←ここまで言えたらハイレベルだ)」とか、そういう訊き方出来ないものですかねぇ。 ま、こういう訊ねられ方をすると、「お主、ただ者ではないな」と思いますけどね
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2001年 12月 26日 (水) 21時48分 のぼやき 編集後記

年賀状もできていないっていうのに、ページUPしてしまいました。
このページは図も多く、記事も増えそうですが、まとまったストーリー(オチ)はないので、小出しにしてもいいかな、と思い、1項目だけ上げてみました。 思えばこのコーナーだけ、開設時のまま増えてないんですよね。 しかも、このサイトにしてはイラストだらけなんだ。 車椅子の取り扱いを図説抜きで説明することがいかに難しく、したがって言葉で説明することがいかに難しいか、ということが、実感できますよね。
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2001年 12月 28日 (金) 16時 9分 のぼやき 昔の道具・今の道具

きれいにして正月を迎えよう、なんていうガラでもないけれど、年末気分に乗っかって、普段磨いたりしない家具を磨いたりしています。 それで、改めて家具に向き合うと、何もかもが「傾いている」。 あまりにも明らかに傾いているので、母曰く、「うーん、じいさんの持ってた水平器、捨てなきゃよかった…。 」傾き具合測ってどうする気だ?大事なのは傾いた家を直す算段じゃないのか?
水平器っていうのは、機械が人を選ぶらしくて、腕が悪いと測れないそうですね。 よーのすけの母方の祖父は、器用な人で、大工さんがする仕事は一通り趣味でできた人です。 だから、使い込んだ道具類を一式持っていました。 鋸や金槌はもちろん、水平器なんていう普通の日曜大工ではたぶん持っていないようなものまで使いこなすすごい人だったわけです。
で、ふと思ったんですよ。 金槌や刃物といった昔の道具は、使いこなすまでが大変だったわけです。 たいてい子どもの頃から触り初めて、とりあえず皆使えるようになるけれども、うまい人も下手な人もいる。 釘一本打つにしたって、頭出さずに打ち込める人もいれば、途中で曲がる人もいたりするわけ。 つまり、道具が人を見たんです。 これに対して、今の家電製品というのは、誰がボタン押しても同じに動きます。 テレビが人を見て映ったり映らなかったりすることはない。 「誰が使っても同じ」というのが、家電製品の特徴でしょう。
そう考えると、パソコンっていうのは、道具としては先祖帰りしているんですな。 誰でも使えないことはないけれど、道具が人を見るんですよ。 昔の道具が頭と身体のシンクロした技術を要求したのに対して、パソコンは頭の技術だけだという違いはあるけれど。 決まった作業をこなすのに、全部手で入力し直すか、マクロやスクリプトを組んでやろうとするかじゃ、結果全然違ってくるもんね。
昔の道具とパソコンの最大の違いは、昔の道具は、釘がうまく打てなければ、「あんたが下手だからだ」ってことになったけど、パソコンは、「パソコンなんか使わせるからだ」って言われることかもしれない。
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Yoonosuke Hazuki[MailTo_ocean@mbc.nifty.com]