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ぼやっきいなよーのすけ ☆ 2001年11月

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2001年 11月 1日 (木) 18時6分 のぼやき車椅子を作るヒトは…


 現在、国際福祉機器見本市のレポート、少しずつ書いてるトコです。
いろいろなメーカーの人と接触したおかげで、今まで全く知らなかったこと、それも自分の車椅子についてさえ知らなかったことを教えてもらったので、そのオドロキと知識を伝えたいと思ってます。 間違った、とは言いませんが、結構効率の悪い車椅子の乗り方・扱い方・選び方をしていたようで。 今までの業者、そんなこと全然言っていなかったもの。 あ、一応断っておきますが、よーのすけと直接対面するのは、「代理店」ですので、リンク集に載っかっているメーカーの悪口ではないですよ、念のため。 代理店が、メーカーから、材料を仕入れてオーダーしますんで。
で、ふと思ったことがあるんです。
「自動車を開発したり、作ったりしている人で、自動車の免許持っていない人って、いるんだろうか」

ハンドコントロールへの改造業者なんかの場合、来てくれるメカニックさんたち、車椅子ユーザーだったりするんですよ。 車椅子脇にを置いて、台車に乗って車の下潜り込んだりしている。 営業車は全部ハンドコントロールシステム付きの車だし、そのシステムで、一応運転しているのね。
でも、車椅子の場合、製作技師さんが、車椅子の名乗り手であることはあまりないんじゃないかなあ。 すくなくとも、よーのすけを担当した技師さんは、実戦的な乗りこなしをしてる感じじゃないですね。 そのせいか、車椅子の性能、あまり気にしていないみたい。

でもね。
自動車の運転できない人の作った車とかって、乗る気になる?
自転車乗れない人が自作した自転車。
パソコン使えない人が組み立てた自作パソコンとか。
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2001年 11月 3日 (土) 22時10分 のぼやき編集後記

昨日は、ようやく手にした135の新譜聞きまくっていて、ぼやくことなんかすっかり忘れていました。
今日いっぱい更新したので勘弁してください。

えーと。 まず、扉絵を新しくしました。 タブレット購入して、初めて描いた絵です。 貼っては見たものの、あまりインパクトが強くないので、長いこと貼らないかも。 これから寒くなるというのに、こんな緑陰の風景なんか扉にして、どうしようって言うんでしょ?

懸案の国際福祉機器展、やっとレポートできました。 あまり実のないレポートになっちゃいました。 その他のページ増加は、実はこのレポートがらみです。 これでしばらく更新しなくてもいいかな、と思いましたが、国際福祉機器展の彷徨日記、つまり道中記が、まだ残ってるのですよね。 あーあ。
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2001年 11月 4日 (日) 19時17分 のぼやき靴屋へ行ったら…

 いろいろな点で「靴」には苦労しているよーのすけ。 靴屋と見れば素通りできないのですが。
地元商店街の靴屋なんていうのは、まあ、まず欲しい靴なんてありませんから、滅多に行くことはありません。 ところが先日、母が「良さげな靴があったよー」と行ってきたので、行ってみました。 そこで見たもの。 「ベビーカーでの入店お断り」。 当然車椅子での入店お断り。
いやさ、現実問題として、通路が狭くなっちゃって、というのはわかる。 だけど、こうも露骨に看板かける、というのがすごいなあ、と思った次第。
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2001年 11月 5日 (月) 21時23分 のぼやき国産品

 産地直販高級みその行商と、家人が玄関先で交渉するのを聞いていた。
けた外れに高いみそらしい。
最近、各社みその行商が、当地を巡回しているのであるが。
「うちは、国産大豆しか使っていないのです。 」と、みそ屋が胸を張っている。
それを受けて家人曰く、「それじゃ、絶対おいしいね。 」
信頼度が、補装具とか、車椅子とは、逆だね。
今でこそ、国産車椅子も、立派になっているけれど。
よーのすけ、香港育ちのため、「メード・イン・大英帝国」の補装具を長いこと使ってました。 しばらく現地の養護学校行っていたんで、そこは当然補装具のオンパレード。 日本帰ってきて、補装具のダサさ・使いにくさにひっくり返ったもんです。 国産品で使える歩行器がなくて、身体大きくなったというのに、ずっと同じ歩行器使い続けてました。 一度破損して、福祉器機屋に修理に出すも、規格が「インチ」のため、ネジ溶かしただけで帰ってきて、町の鉄工所で部品作ってもらったこともあったっけ。 そのせいか、どうも、日本の福祉機器メーカーに不信感持っているよーのすけです。
しばらくしまってありましたが、捻挫のため、室内用にまた歩行器引っぱり出して使ってます。 つきあいえらく長いです。
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2001年 11月 6日 (火) 19時30分 のぼやきリソース不足ぅ!?

 よーのすけの愛用ぱそ、最近少々不安定気味。
メモリもハードディスクの空きも、十分にあるはずなのに、「リソースが極端に不足しています。 アプリケーションを終了します」とか言って、ウィンドウとしては立ち上げていないExplorが終了しちゃったりなんかする。 言い方正しいかどうか知らないけど、Windowsって、Explorシェルにして動いてるんでしょ。 そのExplorを終了するって、どういうことよ。
 あまりに怪しすぎるので、メモリ監視をするようにしてみた、すると、である。
なんと、Windows起動した段階で、使用率がすでに99%になっている。 メモリ使用率は90%以内にしないと、パソコンはまともに動かないはず。 なんでぇ?といぶかしみながら使用を続けると、アプリケーションを立ち上げ、終了するたびに、使用率が下がってくる。 それにしても、なかなか90%を切らない。 以前のぼろパソコンは、Windows95とはいえ、せいぜい60%前後をうろうろしてたはずなのに。 で、90%越えようものなら、ノートンあたりが警告出していたのに。
何かかメモリを余計に占有しているのは間違いないのだけれど。
これを書いてる今だって、99.8%なのよ。 動いていること自体、信じられん。
うーん、一体何が。 誰か教えてぇ。
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2001年 11月 7日 (水) 19時8分 のぼやき ☆ <NOBR>今ならわかる。 身体のこと。

子供のころから、寝付きが悪く、夜中に目が覚めて寝られなくなったりしてました。
子供だっていうのに、変な奴、と言われていたのだけれど、今ならわかる。
不随意運動の一種、「緊張」がとれていなくて、寝られなかったのだ。
おまけに頭痛持ちで、朝頭が痛くて起きるのがつらいこともよくあった。
今ならわかる。 一種の「寝違え」起こしていて、首から背中にかけて、凝り固まっていて、それで頭痛を起こしていたんだ。
子どもの頃は、自分の身体状況を、ちゃんと説明なんて出来ないし、まして分析することなんか出来ない。 その上、自分と同じような身体の持ち主なんか、周囲にいるわけないから、共感も得られなくて、わかってもらえない。
身体障害児って、今考えるとすごい過酷だよな。
私は大人になって良かったわい、と思っていますが…。
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2001年 11月 8日 (木) 21時39分 のぼやき鉛筆削り

 なにぶんにも手にマヒがあるもので、「書く」という作業にはそれなりに苦労してきたよーのすけ。 今でこそ、キーボードな人になっていますが、それでも、文具店の筆記具コーナーで新製品を見つけると、試さずにはいられません。
 さて、書くといえば、そりゃもう、小学校一年生に入ったと同時に始まる板書のノート取り。 そして、テスト。 いずれも時間内に書き取らないと取り返しが付かなくなっちゃう。 なかなか最後まで書ききることがなかったですね。
 特に過酷だったのが、定期テスト。 何も考えずに書いても、解答欄が時間内に埋まらない。 わかっているのに書けない。 で、悔しくてね。 とにかく書きやすい筆記具、ということで、いろいろな形のシャープペンシル試した挙げ句に行き着いたのが、「鉛筆」でした。
 この鉛筆、削らないといけないでしょ。 よーのすけ、子どもの頃、手で回す小型の鉛筆削りが使えなくてね。 まっすぐ回せなくて、こねてしまうから、芯が中で折れるばかりなの。 当時、学校などではハンドル付きの鉛筆削りが一般的になってました。 よーのすけも欲しくてしょうがなかったのですが、鉛筆削りくらい使えないでどうする、という母の主張のもと、結局、母にナイフで削ってもらっていまして。 やがて、こっそり祖父母にねだって買ってもらい、やっと自分で削れるようになっていました。 しかし、機械削りでは、すぐに先が丸くなってしまい、「早く、楽に、たくさん書く」という要請に応えられない。 で、再び母に、試験の前夜、芯を長めに細く削る、独特の削り方で1時間3本の計算で削ってもらっていました。
 変なもんで、そのうちに、間に合わなくなって、自分でも鉛筆削り始めるんですよ。 で、不思議なことに、削れるようになるの。 絵を描いていたこともあり、
機械削りでは出来ない、独特な削り方の芯が欲しかったりしたこともあって、いつの間にか、ほぼ思い通りに鉛筆削れるようになっちゃった。 人並みに字を書きたい一心で工夫を重ねた結果、「人並みの字」は怪しいけれど、同世代の人間ではもうできる人が少なくなった「ナイフで鉛筆削り」はちゃんと出来る、という不思議な結果を生んでしまった。 鉛筆削り、持ってない?と言われて、あるよ、とカッターナイフ渡し、かなりヤな顔されてます。 よーのすけのペンケースには、今時、クローム鞘を付けた鉛筆と赤青鉛筆が入っています。 しかも、鉛筆のお尻の塗料を薄く真四角にはがして名前まで書いてあります。

摩訶不思議なことに、よーのすけ、ナイフで鉛筆削れるようになっても、未だに、手回し鉛筆削りでは、うまく削れません。
脳性マヒって、ほんとに不思議。
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2001年 11月 9日 (金) 21時51分 のぼやきパソコン指導のぼやき

よーのすけ、決してパソコンの専門家ではないし、ましてやインストラクター・エンジニアでもないのですが。
DOS世代の最後という、比較的古ダヌキのパソコンユーザーのせいか、アプリケーションレベルの「わからないこと」なら、現物さわればたいてい何とか出来るのです。 これに、困っている人を放っておけないお節介性格が結びつくと、行き着く先は、そう。 「パソコンにすごく詳しい人」という評判。
未だに、事務方がネット環境にないもんで、よーのすけ、事務方と、留学中の友人の連絡役をする羽目になってまして。 まあ、これも、放っときゃ、アナログメールかなんかでなんとかしたんでしょうが、つい手を出してしまって。 事務方の書いた手紙をフロッピーディスクに落とさせてメールで送る、という、ネットなんだかローカルなんだかよくわからないことをしています。
それはともかく。
事務方の書いた手紙をフロッピーディスクに落とさせるのが一苦労。 「ハードディスクに保存する分」と「フロッピーディスクに保存する分」とか別に作ろうとしたりするんだもんね。 どうもアプリケーションとファイルデータの区別が付いていないらしい。 「Wordで作った文書はWordの中へ入っている。 だから、Wordを立ち上げないと、データをフロッピーディスクに落とせない。 」と思うらしい。 よーのすけよりパソコン歴は長い(!)よーのすけの父も、よくそういうこと言っているから「ファイル」という概念は、存外わかりにくいみたいね。
とにかく手紙をフロッピーディスクに落とすという作業を教えた際、「あのー、Excelで、こういう表作りたくて、こないだから2人かがりで考えているんですけどぉ…。 」というのを、よーのすけ、実は自分のパソコンにはExcelなんか入れてもいないのだけど、つい「どれどれ」と教えてしまったのがいけなかった。 事務室に顔出すたびに質問責め。 ただでは返してもらえない。
しかし、不思議なんだよな。 Word文書はフロッピーディスクに落とせるようになっているのに、どうしてExcel文書がフロッピーディスクに落とせない?
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2001年 11月 12日 (月) 21時58分 のぼやき 忘れそう…

国際福祉機器展の「道中記」早く書かないと忘れそう…。
とゆーか。 ゆりかもめ新橋駅の構造、帰ってきてすぐに記録したその時点でもう忘れてるもんね。 エレベータと長い廊下、どっちが先だっけ?とか。
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2001年 11月 13日 (火) 19時22分 のぼやき 思いやりなのか? それって。

 ハードウエアの「バリアフリー」を言うときに、ソフトウエアの「バリアフリー」としての「思いやり」ってのが、必ずセットに付いてくるけれど。
でも、「思いやり」として想定されていること、たとえば、前を見ずに突進してきて、車椅子を跳ね飛ばしちゃイカン、とか、車椅子ユーザーに対してヤな顔しちゃいかん、とか、そういうのって、「思いやり」なのかい? 人様を付き飛ばすほど自分勝手な歩き方するな、とか、人見てヤな顔するな、なんてのは、お行儀の問題じゃないのかね。 問題は、障害のある人を低く見て、礼儀知らずに振る舞っても許された、っていう風潮と違いますか。 「指一本のボランティア」もそうだけど、むしろ相手に対する「礼儀」の部分が、「思いやり」なんていう、暖かくも押しつけがましい言葉で語られていている気がして、それこそ、やたねえ、と思うのは、よーのすけがつむじ曲がりだからか。
 そういえば、このごろ、「お行儀が悪い」って、怒られているシーン、あまりお目にかからなくなりましたね。
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2001年 11月 14日 (水) 19時43分 のぼやき 追加しました

国際福祉機器展、書き落としたこと思い出したんで、ほんの少しだけ書き足しました。 ついでに、トップと玄関とリンク、すこうしだけデザインいじってます。 スタイルシートによるデザイン変更なので、古いバージョンのブラウザや、NNの人にはあまり関係ないです。
とはいえ、よーのすけ自身は、NNユーザーなんで、自分のプラットフォームで鑑賞できないデザイン作ってどーする、という説もありますが。
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2001年 11月 15日 (木) 19時3分 のぼやきいつも見ているはず…なんだけどねえ

文字で埋め尽くされているこのサイト、最近ちょこっとイラストが増えてるでしょ。 といっても、英語のillustrationそのものの、説明するためのイラストだけど。
で、ここは車椅子のページですから、車椅子、横から見た図、正面から見た図、後ろから見た図、なんてのを描くわけですが、これが、いざ描こうとすると、わからなくなるんだよねえ。 毎日乗って歩いているのに。 よーのすけ、自宅室内では車椅子が視界にない状態です。 いざペンを握って描き始めると、あれ???
これを読んでいる車椅子ユーザーさんたち、車椅子を見ないで、以下の設問にいくつ答えられますか。

○真横から見たとき
 ・後輪の中心は、車椅子の椅子部分と床の間のどこにある?
 ・後輪の一番前は、足のすねよりも前に来るか後ろに来るか? 前輪は?
 ・座席を支える座席下の「X」は何本あって、どの位置に付いている?
 ・足置きは、どの縦フレームと横フレームが交わるところに付いている?
 ・では、前輪が付いているのは、どの縦フレームと横フレーム?
○正面から見たとき
 ・前輪は、後輪のどこに見える? 外? 内? 真ん前?
 ・足置きと前輪の上辺、どっちが上?
○その他
 ・ハンドリムは、タイヤのどこに取り付けてある?

以上、いずれもわからなくなって、実物見に行かざるをえなくなったもの。

以前、「最近の子供は自然に接する機会がなくて、ニワトリの足を4本描く、とか、昆虫の足を4本しか描かない、なんてことが大々的に問題視されたことがあったけど。 50年前の子供に対して全く同じ条件で調査しているのならともかく、それはないのだから、そう簡単に結論付けるのはちょっと怪しい気がします。 見ている・知っている、ということと、再現できる、ということは、全く違うんですよね。 もといなかの子で、トンボを釣り、自宅でニワトリシメた経験もある母いわく、「うーん、あたしもいきなり描かされたらニワトリに足4本描くかもしらん。 そりゃ、足が2本なの知ってはいるけれど。 」絵を描くのが苦手な彼女のものすごく率直な感想。
毎日見ているものでさえ、それを実際に表現してみると、「なんか違う。 でも、どこが違うかわからない。 」ものなのですよね。
車椅子ユーザーなのに、車椅子カタログ横に置かないと車椅子の絵が描けないって、ちーと悲しいぞ。
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2001年 11月 17日 (土) 21時56分 のぼやき 事故に出くわす確率

 つらつら思い返してみるに、よーのすけは、どうも自動車事故に出会う率が異常に高いような気がする。 いや、別に自分が事故に遭うっていうわけじゃないよ。 そうじゃなくて、その、事故になる現場に居合わせることがやたらと多いんです。
免許取りたてで独り立ちできず、まだ助手席に母を乗せて近所だけ走っていた頃。
立て続けに、目の前でスクーターがコケたのに2回遭遇したのをはじめ、今のところ計5回、事故に遭遇してるのだよね。

1.片道2車線の国道をつるんで走っていた一連のスクーターのうち一人が転倒。 これは、割と距離があったので、それほど印象強くなかったけど。
2.山ほど買い物を持ったおばさんのスクーターの後に付いて、高台の新興住宅地につながる曲がりくねった坂道を上っていた。 カーブにかかったところで突然スクーターが転倒した。 まだ初心者で、車間距離が怖くて詰められなかったのが、幸いした。 うずくまるおばさんの直後に停車して救助活動。
3.左にカーブを描く高速道路の取り付け口。 渋滞していた。 左ミラーを見ながら、カーブに合わせて回っていたら、後ろのトラックの横から、そのまた後ろにいた乗用車が大きくせり出してきた。 「なんで?」と思っていたら、「ごんっ!」乗用車がトラックの横腹に追突。
4.片道2車線で右折専用信号のある交差点。 よーのすけが先頭で、信号にしたがって右折。 背後で急ブレーキ音がしたので、ミラーを見ると、人が宙を飛んでいた。 右折信号であることに気づかず、フライイングしたバイクが、続いて右折した車とぶつかったらしい。 よーのすけが二番目だったら…と思うと今もぞっとする。
5.夜の高速道路を走っていた。 前の車の動きが何か不安定だったので、「居眠り運転か?」と車間距離を多めにとって走っていた。 と、前の車が大きく揺れ、「えっ」と思うまもなく、もう1台前の車が路肩に飛び出し、壁にあたってスピンし、追い越し車線でライトをこちら側に向けて再度中央分離帯に激突して止まった。 何が起こったのか、よーのすけにはわからなかった。 前の車は大きく車線を変えただけでかわしたらしく、何事もなかったように通過。 よーのすけもしょうがないから口を開けた車の横を通り過ぎざるをえなかった。

年間せいぜい2万キロ程度しか乗らず、ドライバー歴も10年ちょっとのよーのすけ。 これで、眼前で事故、というのが、5回、というのは、ちょっとすごくないかい。 タイミングが悪けりゃ、自分も巻き込まれてそうだし。 よーのすけって、すごくゲン悪いやつかもしれない。
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2001年 11月 19日 (月) 21時20分 のぼやき 本の虫だったのに

 最近、まともに本を読むことが少なくなったような気がする…。
 立派な活字中毒だっのに。
 考えてみたら、変な話ですよね。 ヒマがたっぷりあって、一冊あたり読む部分も少なかった小中学生の頃は、自由になるお金もなけりゃ、近くに本屋もなくて(田舎だから)、学校の図書室が頼り。 しかも貸してもらえるのは1回に1冊こっきり。 小学校の図書館の蔵書なんて、1冊1時間もかからないで読めちゃうから、持って帰っても間が持たない。 返す頃には5回やそこらは読んでいた。
ちなみによーのすけの小学校、低学年には貸してくれなかったから、よーのすけが借りてきた本、妹くんもほぼ読んでいたっけ。 3歳違いとはいえ、コイツも読むのが早かった。
 学校にいる時間が長くなり、忙しくなってきた高校から、1回に2冊、借りられるようになりました。 だけど、このころ読むのはもう「大人の本」。 中身も難しくなってるし、1時間やそこらで読めるわけがない。 このころから、時間はないわ、でも本の供給は過剰になるわ状態。 そして、大学生になると、そう、生協書籍部。 親なしで本屋へやっと行けるようになりまして。 本なんて、あまり親と、というか、知り合いと買いに行きたくはないものの代表だと思う。 酒も煙草もやらないし、着道楽も食い道楽も、放浪癖もない(彷徨はするが)よーのすけですから、本ならいくらでも買える! 図書館もある、てなもんで。 でも、実際には、大学生になったら、世界が広がっちゃって、そう朝から晩までこたつに足突っ込んで、気持ち悪くなるまで本読んでる、なんてことしなくなっちゃいましたね。
今や、「読まなきゃ行けない本」はあるわ、インターネット遊びはするわで、ますます本読まなくなったような気がするなあ。
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2001年 11月 20日 (火) 22時3分 のぼやき年末郵便局

 ちょっと大きい金額のお金を、別の口座に移す、ということで、一人でもぞもぞやるのは危ないだろ、と、母に付いてきてもらって郵便局へ行きました。 普段は仕事場近くの小さいけれど駐車場完備・真っ平らの郵便局を利用するのですが、今日は地元の郵便局&銀行利用です。
さて。 うちの地元、何が困るって、車椅子ユーザーが簡単に利用できる金融機関がないんだ。 どこも駐車場がなかったり、駐車場−窓口間の足場が悪かったり。 郵便局だって、銀行よりかはましとはいえ、いまいちなんで、30Kmも遠くの仕事場近くで利用するんで。 で、今日は「あそこなら車椅子ユーザー用駐車場がある。 車椅子ユーザーが止まっているのは見たことないけど」という母のカンにしたがって、隣町の本局を利用することにしました。 ちなみに我が家は自分の町の郵便局より隣町行く方が近いもんで。
そうしたら。 「11月16日から1月16日まで車両進入禁止」。 そういわれても、あたしゃ、お金降ろしたいんだけどぉ」と、無理矢理に頭を突っ込みます。 警備員氏が、渋々中に入れてくれます。 車椅子ユーザー用駐車場発見。 でも、郵便局の軽トラがびっしり。 「今は空ですが、ここ年賀状のアルバイトのスクーターが一杯になるもんで」とは、警備員氏の言。 でも、まだ年賀状の受付、そんなびっしりになるほどには始まってないでしょうに。
ぶつぶつ言いながら、建物へ。 スロープ表にあったよね、スロープ… スロープ!? いやまぎれもないスロープなんだけど…。 自力で上がれる勾配なんだけど…。 その…。 80cm幅きっちりで、両脇に「へり」ってもんが全くないの。 そう、切り落とし。 一応手すりは付いているけれど、ちょっとでも蛇行したら、落ちる、っていうスロープ。 実際には、坂を(いや、平坦な道でも)全く蛇行しないで走る、っていうのは不可能だから。 基準は満たしていてもバリアフリーとは言えない建物の代表みたいなもんですわ、これ。 で、スロープ上って左にターンすると入り口なんだけれども、この踊り場が、スロープの幅ぴったりしかないから、これも気を付けないと、落ちる。 なんかとっても腹の立つ郵便局だったのでした。
それはそうと、年賀状業務が本格化したら、車椅子ユーザーは、郵便局使えないってことかいな。 少なくとも年賀状が集まる本局は。 でも、特定郵便局って小さいから、なかなか車置けないんだよね。 しかも何かとお金が動く年末。 この矛盾、どう考えているんだろ。
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2001年 11月 22日 (木) 18時59分 のぼやき 本の虫・一昨々日の続き

高校生の頃、本の虫という点では同類の友人が約1名いまして、この友人と、本読み競争してました。 よーのすけ、高校生活の前半は絵描いてばっかで、読書は二の次だったから遅れを取ったけれど、後半、受験のためにクラブを引退してから、また本読み生活で(受験はどうした)。 減っていたとはいえ、前半も並みよりかは読んでましたからね。 読書傾向が似ていたもので、読む本、読む本、全ての貸し出しカードにこの友人の名が記されていて、妙に対抗心燃やしてましたっけ。 で、しこたま本読みましたよ(だから、受験は…)
あるとき、ふと気が付いて、高校の前半に読んだ本のカードを見たら、自分の名前の後ろにこの友人の名がありました。 何のことはない、自分が前半戦で読んでた本を友人が後半戦で読み、前半戦友人が読んでた本を、後半戦読んでたんで、後塵を拝した気になってただけ。 でも、スタート出遅れた分、向こうの方がカード2枚分くらい多かったのかな。 よーのすけ、読書傾向は普通の基準からすればでたらめで、つかみどころがないと言われていますが、それとかなりの部分で重なっていた友人がいたのは、かなり楽しかったですね。
スタジオジプリ製作・今は亡き近藤喜文監督の「耳をすませば」という映画の冒頭、主役の女の子が、自分が借りた本のカードに、必ず同じ名前があって、対抗心燃やすでしょ。 あれをよーのすけもやっていたってわけです。 高校生にもなって。 だから、高校卒業して数年後、あの映画見たとき、とても懐かしかったんです。
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2001年 11月 23日 (金) 22時22分 のぼやき 編集後記・やっと

国際福祉機器展の道中記をUP。 最近ますます彷徨日記が長くなっていくような。
公共輸送機関のレポートだけにとどめればいいのだけれど。 そもそも最初は、余計なものをできるだけそぎ落として、節制に努めていたのだけれど、「記録」というよりは「道中記」になってきちゃって。 長くなるからなかなかUP出来ない。 UP出来ないから忘れる…。 まずいよね。
元町靴探しで行った店。 面白い経験だったので、これは、改めて、別記事に仕立てようと思っています。 歩く障害のある人にとって、良い靴を探すことほど難しいことはないですからね。 医学・解剖学の知識とそれを実現する職人技術、デザイン的センス。 なかなかこれだけ揃いませんし、揃わないといけないという意識もまだないですものね。

さて、もうすぐ12月。 となれば、どこの家庭でも始まる年賀状製作。 パソコンがある人なら、普段はまず使わない「画像処理系ソフト」「年賀状製作ソフト」のお出ましです。 一年に一度しか使わないもんだから、当然操作忘れてますわね。 で、なんかっていうと「よーのすけくーん」とお声がかかる。 「保存が出来なーい。 」「ちょっと待って。 」ことことこと。 ごそごそごそ。 「めっぜーじはね、アクセス権限がありません…」何だそりゃ。 わかったよ、行く。 今行く。
こういうとき、つい、「アムロ、行きまーす。 」というせりふが浮かんでくるよーのすけは、すでに旧世代。
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2001年 11月 25日 (日) 13時10分 のぼやき 本の虫・絵本の時代

実際に文字覚えだしたのも早くて、気が付いたら自分で読んでました。
母は「読み聞かせずいぶんした」と主張するけれど、全然記憶にないんです。
むしろ、母との本読みって言語リハのため、朗読の訓練させられて、ヤだったという記憶しかないよ(笑)。
我が両親、絵本とかに関しては、全く見識がなくて、今から思えば「センス悪ぅ〜。 」という奴。 ま、幼児期に海外赴任しちゃったというせいもあって、この世代の人なら誰もが読んでいるはずの「絵本」ていうのをいっこも読んでないのよ。
そのなかで、ひときわ記憶に残っているのが、リーダース・ダイジェスト・ジャパンという今はもうない出版社が出した「世界の童話」という10冊揃いのカセットテープ付き絵本。 これ、井上ひさし氏が監修・脚本で、熊倉一雄氏が朗読してたという、とんでもないミュージカル仕立ての絵本でして。 海外赴任に持っていった日本語の絵本がこれだけだった(とゆーか、このころから凝り始めるとしつこいという性格が出来上がっていたよーのすけが、このシリーズを日本に置いていくのを拒んだという説もある。 )せいもあって、なんど聞いたやら。 ま、知っている人は知っていると思うけど、井上ひさし氏の語り口って、一種独特のリズムがありまして、若い頃の文章には、とくにそれが強く出ているのよ。 人格形成期をそれとともに過ごしたもんで、よーのすけが気分良く読める文章は、格調高い文ではなく、駄洒落と七五調をベースにした、どちらかと言えば騒々しい文章。
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2001年 11月 27日 (火) 21時29分 のぼやき ♪〜

 へっへっへ。
ようやく、足首動かしてもいいってことになったもんね。
相変わらず足首は腫れているのだけれど、もうじん帯の裂傷は治っているらしいんです。 ここのところ、痛さがちょっと変わってきたみたいだったので、久しぶりに診察を受けたところ、今足首が腫れていて少し痛むのは、内反しないようにかばって歩いていたから、だそうで。 スポーツ選手が疲労骨折起こすトコが、疲労して傷っぽくなっているんですと。 サポーターはまだ取らない方がいいみたいだけれど、もう痛いの気にせず動いてもいいそうな。 正座とかはダメらしく、床からの立ち上がりはもうしばらくダメって言われたけど。 これからは縮んだ筋肉を伸ばすのがリハになるそうです。 動かしていいってことになれば、痛かろうが何だろうがこっちのもん。 やっとこれでひと暴れできるぞ。

しかし、長かったです。 階段から落ちたのが4/29。 医者に見せたのが5/1。 テーピングに失敗して、ずっと湿布と8字帯を巻いてたのが6月一杯。 足全体が腫れ上がってきて、プラスチックのサポーターを買ったのが7月。 サイズが合わなくて半月ほどほったらかし、あまりに腫れがひどくなって、仕方なく試しにきついのを無理矢理はめたら足の腫れが引き始め、腫れがなんとか引いたのが9月。 で、なんか痛いのが変わってきたな、と思い始めたのが11月だもんね。 「動かしちゃいけない」病気ってのが、アテトーゼ系脳性マヒには、ほんと、きついや。
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2001年 11月 28日 (水) 18時52分 のぼやき 本の虫・修学前後 & 編集後記

 歩けない+海外住まい、とくれば、テレビもないし、もちろんラジオじゃしょうがない。 おまけに、我が家、日本人コロニーから離れたところにあったから、近くには友達もいない。 これじゃ、本読むしかしょうがないじゃないですか。 ま、本も「輸入品」だから、めためたに高かったけどね。 たとえばマンガ一冊1800円ナリ。 「絵付き」の本は、すぐ読めちゃうので、このころから、本を買ってもらうときは、「厚くて、絵が少なくて、できるだけ字の小さい本」を探す癖が付いたらしい。 あっという間に読めるマンガは「贅沢品」。 いまもって「マンガ」は、スペースを大量に要求するから、やっぱり「贅沢品」のイメージが…。 「読み捨て」の週刊誌とかって買えなくて、買ったことないですもん。 自慢にならないけど。
 さて、このテーマでぼやくうちにふと思い出したことがあって、考えたらどうも不思議な話を一つ。
小学校1年生で、日本人学校への入学を断られたよーのすけ。 現地の養護学校に通うことになったのですが、ここ、使用言語は「広東語」。 ときどき、図書室が開いて、本を見せてくれるのだけれど、ここでも、よーのすけ、開室するたんびに入り浸って、本見ていたの。 文章は、当然「旧字体の漢文」。 いくら、字を覚えたての一年ぼーずが読むような絵付きの本だったと言ってもだよ、それまで日本人社会でしか生活していないから、当然何もわかってないわけで。 私ゃ一体何をどう読んでいたんでしょう。 今、ふと思い出して、不思議でしょうがなくなってます。
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2001年 11月 30日 (金) 22時20分 のぼやき 本の虫・三つ子のタマシイ100まで

25日のぼやきを見た妹くんが、こんな談話を寄せてくれました。

「ときに、「ぼやき」の「本の虫」で、母の読み聞かせのくだりがありますな。 私は結構、よーさんが学校に行っている間に、読まもらった記憶があります。 読んでもらった本は、「中国神仙奇譚」しか覚えていませんが。 大学の漢文のテキストで「六朝志怪」を読んだ時、ほとんどこれに出ている話だったもんなあ。 うちの母も、変な本を就学前児童に読み聞かせたもんだ。 (と、父のパイプの本を読んでいた変な娘は思う。 )」

「パイプの本」というのは、当時パイプに凝っていた父親の持っていたムック本。 適当な本がなかった妹くんは、幼稚園に上がる前から父の本箱をあさっていたらしい。 ここが歩けるヒトと歩けないヒトの違いでありまして、よーのすけの方は親父の本棚まで辿り着けなかった。 とはいえ、妹くんだって、読んでもらった本の記憶って一冊しかないんだから、ま、たいして読んでもらってないのとちゃう、と思い、母の証言を取ったら「中国神仙奇譚とリーダースダイジェストの絵本だけ。 」ですと。

「リーダースダイジェストの絵本」。 これ、引っ越し時に知り合いの赤ちゃんに譲ってきてしまったのですが、とっても気になっています。 今思うと、「ひょっとしてあの大画家が絵描いてたのでは?」と、見当を付けているのがいくつかあって、調査しているのですが、何しろ出版社が消滅しちゃっているので、なかなかです。 それでも一つネット検索で引っかかったものがあり、それを見て、思わず「げっ」と息を呑みました。
アニメーションファンの間では、ほとんど伝説的存在になっている「長靴をはいた猫(1969, 東映)」というアニメーション映画があります。 今をときめく宮崎駿氏が原画スタッフの一員になっていたこともあり、今では「知る人ぞ知る」という映画です。 よーのすけは、これ、小学生時分にテレビ放映で見て、特にそのセリフ回しにすっかりはまって、とにかく印象深い作品なんですが。 この映画の脚本スタッフが、「リーダースダイジェストの絵本」と、全く同じメンバーだったから、驚いたんです。 「井上ひさし・山元護久」という「ひょうたん島コンビ」。 幼児期に夢中になって、刷り込まれた言葉のリズムって、どうも一生心地よいものとして残るみたい。 格調高い絵本を読んでたら、もっと格調高い文体が好みになっていたかなあ、と思う今日この頃です。
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Yoonosuke Hazuki[MailTo_ocean@mbc.nifty.com]