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ぼやっきいなよーのすけ 2003/05

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2003年 5月 13日 (火) 22時9分 のぼやき胸ポケット

さて、問題です。
車椅子ユーザーを含めた歩行障害者の「歩行」と健常者の歩行の違いは何でしょう。

いろいろ挙げられるでしょうが、これはかなり根本的な違いだと思います。
「健常者は足だけで歩くが、歩行障害者は手で歩く。」これてす。
この場合、何に困るって、いっちゃん困るのが、「ものを持って歩けない」。
トイレに財布とハンカチだけ持っていく。車の鍵を持って玄関から出る。家の鍵を持って玄関から出る。紙コップ入りジュースを買う。ソフトクリームを買う。これらのこと全て、足だけで歩いているからできるワザ。
紙コップ入りジュースとソフトクリームは、無理ですが、鍵や財布やハンカチは、ポケットが大活躍します。特に、ほとんど歩きながら取り出す必要のある鍵や切符なんてものは、パッと出てくる場所に置いておきたい。
で、よーのすけは胸ポケットをこよなく愛しております。普通、上肢にマヒがある人はいやがるはずの、上から下までずらーっと小さいボタンが並んでいるシャツを、うーっ、めんどくせー、といいながら、おでかけの際はちまちまかけて着ています。ところが。
男だったら少なくともこの先30年は、あのワイシャツスタイルは滅びないと思うので全く困らないんでしょうが、あいにく女性のよーのすけ。ここ数年、女のシャツは小さくなる一方で、バストラインを強調するため、ムネにポケットがなくなってしまった。いまや、日本中探しても、スクールシャツは別として、胸ポケットのあるシャツなんてないんじゃないか、という感じです。
少々ふっくらしてしまったとはいえ(でもダイエットが功を奏して元に戻りつつある)少年体型のよーのすけ、幸いにして、子供服の大きいのが着られるので、男の子用のシャツがあれば着てますが、最近は、コドモも不器用志向らしくて、ボタン付きシャツを探すのが、これまた大変だったりして。みんなかぶる服ばっかしです。
障害を持つ限り、服装に制約があるのは仕方のないことです。「ハッタリ」を効かせる「センス」と、かっこよくありたい、と思う意地で、自分の好みと障害による制約をうまく折り合わせて自分なりのスタイルを決めることになります。よーのすけの場合、めんどくせー、と思いながらかけるボタンが、意地と障害による制約とのバランス地点だったわけですが。
胸ポケットがなくなっちゃうとねぇ、意地だけでボタンかけなきゃいけないんで、かなりむなしいです。流行が変わるのは仕方がないとして、なにも日本中の女性用シャツから胸ポケットがなくなんなくてもいいじゃないかぁ、と思う今日この頃。
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2003年 5月 15日 (木) 21時7分 のぼやき2万アクセス感謝

いやあ、2万アクセスですかぁ。
現実逃避・気分転換のために立ち上げて好き勝手なことをやってきたこのサイトです。はづきよーのすけという、ちゃらんぽらんなバーチャル人格の書き散らしたものを、読んでくださった方が述べ二万。いやはや…。心から感謝申し上げます。

3年目で2万というカウントは、決して多いとは言えません。むしろ、よそ様のサイトに比べたら、少ないくらいでしょう。しかし、YAHOO!に登録したほかは、ほとんど宣伝活動を行わなかった上、「はづきよーのすけ」というバーチャル人格の存在を知っている人間は、リアル世界には、ほとんどいません。実世界では、よーのすけがサイト運営者であることは、ほとんどナイショになってます。でないと、「笑い話」が出来ませんので。知り合いがほとんどアクセスしない(はず)、ということを思えば、けっこうえらいことかもしれません。「車椅子」やら「脳性マヒ」やらで、検索をかける人は、全体から見たらごくわずかでしょうしね。申請しても今やなかなか登録されないという、各種大手検索サイトのカテゴリにも、知らない間に、ちゃんとしたコメントが付けられて登録されています。これもみなさまがご訪問下さっているおかげです。

最初の半年が1000、2年目にして5000となったのが、去年の3月。そしてこの1年3ヶ月で15000ヒット。ネット人口の増加もあるのでしょうが、一度おいでになったみなさんが、繰り返し見に来て下さっていて、声を掛け合って下さる、ということが、大きな原動力となっています。肢体不自由者が急増、というのは余りにもブラックなので避けたいところです。

今後とも、みなさまのお知恵を拝借しながら、ぼちぼち続けていこうと思っています。
今後ともごひいきのほど、よろしくお願いいたします。
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2003年 5月 17日 (土) 12時12分 のぼやき着るものある?

 前々回に引き続き服装企画。今回は、うちのばーちゃんの話です。
小さくてまん丸なよーのすけのばーちゃんは、手と足が少うし不自由です。ちびなのは、はづき一族に共通の悩みでして、これはもう仕方がないこと。しかし、洋装としてのは、「肩で着る」ものなので、肩がなくてふっくらしていると、もう本当にサイズがない。しかも、年寄りにもかかわらず暑がりで、年寄りであるがゆえに肌が過敏だったり、ボタンが苦手でかぶるのも苦手だったり、出掛けるときにはちょうどいいサイズのポッケが必要だったり、なかなか大変なわけです。
 とはいえ、このばーちゃん、なかなか人気者でして、(彼女よりは)若い友人達がいろいろと着るものを見つくろっては持ってきます。もっともそういう心遣いをして欲しい彼女の娘(つまりはよーのすけの母)が、人の着るものなんか見つくろえるかい、という、きわめて男性的な性格であるのが、彼女には不満のようですが、まあ、それは置いといて。
しかし、彼らが見つくろってくるものというのが、どうもその、彼女のニーズに今ひとつ合わないらしい。つまり、着ると肩が凝ったり、ちくちくしたり、暑かったりするわけだ。中に1人、いわゆる「福祉な服づくり」のボランティアをしている方がいて、「ユニバーサルデザインな服」を作っては持ってきてくれるのだが、これまた、ポケットが大きすぎたり(ポケットって、付けりゃいいってもんでもないからね)、年寄りなんだから明るく派手に、とかいって、何だこりゃ、な、柄で作ってみたり、組み合わせようがないもの作ってみたり、どうも、「装うもの」じゃないんだな。
 かくて、ばーちゃんは、洋服の山にうずもれながら、「着るものがない」と、悩んでおります。やはり、若くてよかった頃の記憶があるのか、自分で選ぶと、着にくいもの・使いにくいものを選んでしまうらしく、結局、着られない服、使えないバッグを山ほど抱え込むことになります。だから自分で選ぶのは嫌らしいのです。で、十分事情を知らない友人達は、健常者な感覚で、ずれたものをプレゼントし、他方、事情をよく知る娘の方は、もっとややこしい事情を抱えた我が子に、「全く、健常者ってのは、妙なこと考えるんだから。こんなん使えるわけないやん」と、説教され、考え込んだ末、何も買ってあげられず、事情はちーとも好転しません。
 で、いよいよとなると、よーのすけの出番となります。やっぱりというか、何というか。「健常者」だったという記憶がないと、「できるはず」という幻想がないので(抱きようがない)、人様のことであっても客観的に身体状況を把握できるみたいです。そのため、身体状況と好みとすりあわせることが、かなりシビアにできるらしい。しかも、人のことだと、より冷静に分析できるしね。そうすると、「そうよ、こんなのが欲しかったの」というものが見つくろえるらしい。
 好みと身体状況のすりあわせは、結構シビアな面があります。割り切ったつもりのよーのすけでさえ、つい、妙な幻想を抱き、「こんなもん買ってどーすんだよ」と、落ち込むこともしばしば。かくありたい、という希望と、現実のギャップ−−しかも、似合う似合わないというレベル以前の、活動自体が妨げられる−−は、説明してもなかなか健常者にはわかってもらえないものの一つです。
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2003年 5月 2日 (金) 21時41分 のぼやき玄関の引っ越し

緊張するよー。なにしろ、そこら中にリンクしているのだもの。

 サイト開設して、まもなく「うーん、しくじったな」と思ったのがこの玄関ページ。このサイトにとって、実質的にはトップになるページです。
 玄関は、扉絵などを入れて、多少装飾的に「見せる」ことを意識しましたが、絵を入れることによって重くなります。いや、14400bpsの当時の感覚ではすごく重かったのよ。で、常連になって下さる人には、すぐに新着が見られて、すぐに行きたいところへ行ける、軽いトップページを用意したんです。ほとんど構成を「パクった」サイト「いさご研究所」もそうなっていましたし。
 最初は、ページ数も少なかったし、タイトル名とファイル名を一緒にしなきゃ、というので、妙なファイル名になってしまい、なんだか使いにくくて。その上、いろいろ、ここまで一気に読ませたい、とか、そういう邪心もあったりして、気が付くと、結構複雑なページになってたのです。
 複雑なのは実は相変わらずだったりしますが、ページを分割して多少減らしました。もう動かしませんので、ご安心を。
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2003年 5月 21日 (水) 18時58分 のぼやきなつかしい!と思うとき

 ここしばらく、カーステレオに、サイモン&ガーファンクルのベスト盤「スターボックス」を入れてます。音源は全部そろえてますので、ベスト盤とは言っても、曲目リストを見ながら自分で編集したまがいものです。もちろん、トシからしたら、よーのすけは、こんなの聴いているはずがない世代です。多感な中学時代、今思えばもろに70年安保世代の音楽教師に聴かされて、たいそう感動したもので、小遣いと行動に余裕ができてから集めました。このドライブBGMがまあ、思いのほか、同乗者に大ウケしてまして。よーのすけより、10歳以上年上の人々は、ことごとく「きゃあ、なんて懐かしい」と、乗り込んできたとたんにおっしゃいます。「どっかにテープがあるから、探して聴こう」とか、「このころ、僕まだ小学生だったんだよ。」とか、「え、あんた生まれたのこの頃?すごいときに生まれたねえ。ぼくそのころ大学ロックアウトして石投げてたよ」(おいおい)とか。ヒジョーに盛り上がるので、当分、これをかけておこうと思ってます。同世代にはいまいちウケないんですけどね、でも滅多に乗せないから。
 「懐かしい」というのは、ずっと忘れていたから、「懐かしい」んでしょうね。よーのすけみたいに、しつこいこだわり屋だと、昔凝ったものは今なお引き続き凝っているので、ちーとも「懐かしい」という感情にはなりません。もともとの性格もあるのでしょうが、身体が不自由だと、子供時代は、とかく「刺激」が少ないので、情報が上書きされないらしく、親が驚くほど、いろいろなことを覚えています。妹くんと比べると、その差は歴然としております。することがないから、入った情報を繰り返し反復して遊んでいたに違いない。行動が外に向かない分だけ、どうしても内向しますわなあ。
 そのせいか、子どもの頃から老成してまして、中高の教師達からは、「おまえと話していると、生徒と話しているというよりは、先輩の同僚と話しているような気がする。」と、よく言われたもんです。で、どうも、それきり精神的な成長が止まっちまったらしくて。何見ても、「つい最近」という感じがするんだよねえ。なんか時間の感覚が変かも。最近、「懐かしの70年代」がブームだそうですが、あやしいことを口走りそうな気がする今日この頃。昨日見たの〜とか言っちゃったら、どうしようね。
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2003年 5月 26日 (月) 19時24分 のぼやき昔々、単独移動は違法だったんじゃそうな

けいじばんでの話題も絡めて、少々。

 2000年11月に、かの「交通バリアフリー法」が施行されたのは、仮にも、車椅子かっ飛ばして歩いている人なら誰でも聞きかじりぐらいはしているはず。施行されたときには、万歳の一つや二つは言ったかもしれません。
 でも、この法律が施行される以前には、車椅子ユーザーが単独で公共輸送機関を利用することが、実は「違法行為」であることを知っている人は、たぶん稀でしょうな。もちろん、よーのすけも知らなかったですさ。この頃はすでに単独行動に味しめてた頃ですもん。
 この「交通バリアフリー法」の画期的な点として、基本方針の中に「国民の協力」を盛り込んだ、という新聞記事の解説を読んで、初めて知ったんです。

「国民は、…高齢者、身体障害者等による公共交通機関の利用を妨げないことはもちろん、必要に応じ高齢者、身体障害者等の移動を手助けすること等の支援により、高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した円滑な移動を確保することに積極的に協力することが重要である。」

という一文を入れることにより、高齢者及び障害者に付き添いを付けることなく、公共輸送機関に搭乗することが、可能になったらしい。つまり、高齢者や障害者が電車に乗っているのを、突き飛ばしたりしない、とか、「すんまへーん。電車降ろしたってもらえまへんか」と頼まれたときに、常客が手を貸す、ということが、認められて初めて、単独搭乗OKになったんですな。それまでは、常客の安全の確保は、もっぱら事業者の義務だったので、「常客による手助け」自体が、いけないことだったんです。常客を安全に乗せて・移動して・降ろす。これに対して事業者は義務と責任を持ちます。したがって、通常の業務内では、安全が確保できない障害者の場合、本来なら、安全確保のために、乗務員を付き添わせないといけないわけですが、それが出来ない場合は、むしろ、乗車させることは、事業者の安全義務に反する、と理解されていたようです。
 そっかー、私ってば、ずっと違法行為してたわけね、と、ちょっとびっくり。いや、この場合、違法行為してたのは、ご親切にも乗せてくれた鉄道会社で、よーのすけは、電車に乗ったその存在が違法な状態を作り出している、というだけですが。

 たった2年前まで、車椅子ユーザーの単独行動を制約することが、制度上も認められていた、というのが、かなりスゴイ話ではあります。
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2003年 5月 27日 (火) 21時47分 のぼやき駅のタクシー情報が欲しいなあ

 知らない駅を利用するにあたり、一応、「らくらくおでかけ情報」などで、駅のアクセス情報を調べるわけですが、いつも情報がなくて困るのが、駅前のタクシー乗り場情報。バスが事実上役に立たなかったり、一般道を車椅子で移動することが現実的ではない現状では、とりあえずタクシーを使う、というのが、いろいろ問題はあるにせよ、ほとんど唯一の選択です。問題は、このタクシー乗り場が、エスカルやエレベータで降りる側の出口にあるかどうか、ということです。大昔に「バリアフリー化」をした駅だと、込む方の出口は危険だからと、人の出入りの少ない裏駅側に設備を付けて、「タクシー? タクシーに乗れる方にはエスカルないから。そこ出て線路沿いにずーっと行くと踏切あるから、それ渡って、表のロータリーに戻って。」コイツ、一度しばいたろか。
 タクシー乗り場のある方に出して下さい、と頼むようにはしてますが、どうかすると、駅員さんも知らなかったりするんですよね。タクシー乗り場が離れていてびみょーに段差があったり、そもそもタクシー乗り場がなかったり。そういうところは、駅の公衆電話に「ご用命はXXタクシーへ」みたいな広告が貼ってあるので、呼びゃいいんですが、普通に歩けりゃ5分てなところでタクシー呼ぶのもなんかヤダ。大体、普通は、駅が目的地じゃなくて、駅からさらに進んだ所が目的地であるはずなので、駅から他の移動手段にトランスするためのアクセス情報も、電車乗り継ぎ情報の一環だろうと思うのですが。
 と、思いながら、当サイトのアクセスマップ(のつもり)である、「彷徨日記」を見直してみたところ。わはははは。改札→タクシー乗り場へのアクセス、書いてない。少なくともすぐに見つけられるようには書いてない。自分で「困るじゃん」と文句言いつつ、自分も落としている。これはまずい、と、反省したよーのすけでした。
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いいかげんにせえ!!(玄関に戻る)
車椅子で彷徨えば扉
Yonosuke Hazuki[mailto:ocean@mbc.nifty.com]