秋の京都小ネタつくりの旅 2

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ホテル探してやっぱり迷子に

 京都駅で「郵便局側」の出口(烏丸南口)へ出してもらったよーのすけ、旅行社からもらった地図(これが「ちず丸をプリントアウトしたものなんだから、横着だよなあ」)を頼りに、すぐにホテルの看板を発見しました、「右下がりの道だから、駅に行くには反対側を走らないと辛いなあ」と思いつつ、看板の下まではたどり着いたんです。そこまでは良かったのですが、玄関扉を開けて中に入ろうとすると、そこには電子ロックが。どうやらここは裏口らしい。仕方なく、周囲を左回りに回ろうとしましたが、なぜか回れず、1街区通り越して大通りへ出てしまいました。最初の小路で左に折れると、そこに現れたのは、アパホテル烏丸通り。しかも階段付きのレストラン入り口。メニューには「じゃこ飯湯葉どんぶり」となっていて、心を誘われます。でも階段。時間は迫ってきています。人通りの少ない小路でしたが、通りかかった人にホテルの人を呼んできてもらいました。こちらはやはり裏口だったらしく、大通り側の正面玄関に通され、そこからさらに駐車場に出て、スロープを下り、車いす専用裏口から入る、という念の入れようです。タクシーの方には遅れる旨を告げ、お昼を取りましたが、結局これがたった一度の「京都らしいごはん」になったのでした。

 タクシーは、このレストラン側に回ってきてくれていました。運転手は、ヘルパー2級を持っているというK氏。休日も障害者の観光ボランティアをしているという人で、観光地の汎用トイレの場所も全部頭に入っているとのこと。よーのすけの車いすは、OX製ゆえバックレストが畳めず、小型タクシーではトランクが閉まらないので、中型車をチャーターしてありましたが、これが後部座席が回転シートになっている福祉車両でありました。

まずは清水寺へ

 出立寸前までガタガタだったので、ほんとに何も考えていなかったよーのすけ。どこへ行きます?とK氏に尋ねられても、何のリクエストもできないていたらく。仏像と景色、どちらがいいですか、と尋ねられ、景色、と答えたところ、じゃあ清水寺に行きましょう、ということになりました。観光タクシーの運転手さんは拝観料は必要なく、拝観料は本人のみで、寺院内部の介助もしてくれるということです。

 清水寺。帰ってから「清水寺」へ行ってきた、と言ったらば、10人が10人、「え、どうやって登ったの。まさか清水の〈舞台〉までは行かないよね。」という反応を示しましたが…。知らないということは恐ろしい。そんな大それた場所だとはつゆ知らず。ン十年前、修学旅行の事前研究の担当が清水寺だったんだけど、階段の記述はなかったんですもん。一般人は長い参道の階段をトコトコ上がっていくんですってね。

 「障害のあるお客さんが停められる駐車場があるんです。行事が入っていたり、守衛の担当に事情を知らない人があたっていたりすると入れてくれないこともあるんですけどね。ああ、大丈夫でした。はづきさん、日頃の行いが良かったらしい。」インターホンでゲートのロックを外してもらうと、本堂と同じ高さまで車を入れることができます。駐車場の公衆トイレには汎用トイレもあります。障害者手帳で拝観料は無料。本堂を回って、ちゃんと舞台にまで行き(下りることはできませんが)、音羽の滝まで、回ることができました。「『清水の舞台』といって、写真に撮るのはここからなんやで。」というスポットも、手すりの間から見ることができます。どっちみち、手すりの間の風景なのは、清水寺の風景も、動物園も博物館も一緒なんだわ、と、ついツッコミを入れたくなるよーのすけ。

 音羽の滝まで降りてきたところで、最後10段ほどの階段です。これを上がると、すぐ目の前が駐車場、なのですが…。K氏、売店の女性に、迂回するスロープはないか、と尋ねますが、ない、とのこと。「ちょうどそこに、若い人がいてはるから頼んだらよろし。」との言葉の言葉の先にいたのは、黒い革の上下に身を包んだヘビメタ風の金髪青年たち。K氏、彼らに声をかけたのですが、この時の言葉がとてもすてきでしたね。今となっては思い出せないのですが、関東にはない言い回しで。「すいません」という謝るような頼み言葉ではなく、純粋にものを頼むとてもキモチのイイ言葉。こんな言葉を生み出したこの土地が、よーのすけは羨ましかったです。

「楽しんで行ってくださいね。」まだ20歳そこそこに見える青年は、ブルーのコンタクトを入れた目で、微笑みながらそう言って去っていきました。

伏見稲荷…って行けますか?

 「次、どこ行きます? 高台寺は今ライトアップしてるはずですし、そこに向う途中に先斗町を通るのもいいんやけど、まだ舞子はんが出てくるのには早すぎる…」 先斗町か…楽しそうだな、と思いつつ、観光マップを見ていたら、京都駅の方向に「伏見稲荷」がありました。あ、ここ、テレビで見てぞわっとした、この世ならぬイメージがあるところだ。ここ行きたい。行けますか?

 「伏見稲荷とはまた…。清水寺とは正反対の京都ですわ。そう遠くないですよ。行ってみましょう。」

 5時近くなった境内にはもう人もまばら。駐車場もがら空きです。デコデコの坂をいくつか上がり、本殿へ。2,3人の人がお参りしていましたが、清水寺のにぎわいとは正反対です。と、横で柏手を打っていた、まだ若い、しかしいかにも事業家、という感じの男性が、出し抜けに朗々と祝詞をあげ始めたのにはびっくり仰天。これが京都なんだろうな、と妙に納得しました。

 しかし、さらに奥に進もうとすると、石段に阻まれました。見上げていると、守衛さんに、「ここ、登る気でっか?」と声をかけられ、さすがのK氏も「いやぁ」と頭をかいています。「鳥居がずっと並んでいるところ、ちょこっとでも見たいんやけど。」と言うと、社務所の裏から行けるんとちゃうか、と守衛さん。いや、それでも鳥居に行き着く前で階段になる、と応じるK氏。

 仕方がないですね、と、がっかりして引き上げかけたところで、若い祢宜さんに声をかけられました。「裏参道」から上がると、階段はないはずだ、と祢宜さんは言います。半信半疑ながらも、K氏、車にとって返して、「裏参道」なる方へ車を走らせました。

 裏参道。その門の前は、とても車を停めるスペースなどありません。それでもK氏、エンジンをかけっぱなしにして、車いすを下ろし、中に入ってくれました。踏み固められた土の道に、階段、といっても、15センチほどの段差と1.5メートルくらいの幅の踏みしろが続いてます。向こうから人影が現れたと思ったら、先ほどの祢宜さんで、心配して様子を見に来てくれたのです。十数段上がったところで、ほら、見えてきたで、と指さす方を見ると、宵闇の迫る森の中、アークライトの青白い光の中に浮かび上がる、朱の鳥居。(スケッチをクリックすると大きくなります。戻るにはブラウザの「戻る」を使ってください。)

深い森の中、夕闇に浮かび上がる鳥居  逢う魔が時、とはよく言ったものです。何かに出逢ってどこか別の場所に連れ去られてしまいそうな…、肌が粟立つような…。

 びっしりと立ち並んだ鳥居の中は、あたかも異界との境目に立っているようです。

 「なんや、薄気味が悪いようやな…。鳥居の一本一本に思いが籠もっているんやね。」とK氏。これが山頂まで続いており、奥の方には朽ちた鳥居もあるのだとか。少しだけ歩いてもらって引き返しました。段々を後ろ向きで降りていくのですが、その間中、朱の鳥居が青白く光っているのが目に入ります。「京都を、日本を垣間見た」という感じです。

 「私もこんなルートがあるとは知りませんでしたよ。」というK氏。いやはや知らないということは恐ろしいというか気楽というか…。車いすユーザーの観光ルートには入れないだろ!という所だけを選りだして行ってしまいました。車いすを曳いてひたすら坂道と段々を上り下りすることになってしまったK氏、どうもありがとうございました。

 よーのすけが行った直後、伏見に宿泊していた友人も伏見稲荷を訪れていたようで、彼はすでに真っ暗になっていたところへ訪れたそうですが、よーのすけが感じた「怖さ」は感じず、ただ幻想的なものだけを感じたとか。「京都を見るのならば伏見稲荷だよね。」という点で、つい意気投合。


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車椅子で彷徨えば扉
Yoonosuke Hazuki[Mail_ocean@mbc.nifty.com]