ぼやっきいなよーのすけ ver.3ログ  - 5

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■ 不確定の時代

 久しぶりに妙なものを見ました。

田舎町の夜道で信号に引っかかったんです。そこそこ車どおりの多い道でした。前の車は真っ黒いスモークガラスのステーションワゴンで、勘亭流で墨書されたステッカーが貼ってある、できれば近づかない方がいいタイプの車。

銀色の地に墨書された千両札。目に飛び込んできたのは「横浜議会」。いや、正しくは、旧字体・勘亭流の大きな「横濱議會」。 議会?議会! どう見ても「横濱議會」。銀色の地に墨書された「横濱議會」

 リアウィンドウに貼り付けられたこんな千両札。横濱議會 このノリは、「横浜議会」じゃありません。菊の代紋くっつけた「横浜正風社」とか、トラックのウィンドウに貼り付く「男一匹横浜爆走」とか、ふた昔前なら「横浜銀蝿」とかさ、そっち方面だよね。少なくとも「議会」とはかけ離れてますわな。

 夜の闇に見間違えたか、と、じりじり近づいて、危なくキスするところだった。もしキスしたらば、運転席から降りてくるのは、「横浜議会」系のひとか、スモークガラスに千両札系のひとか…。んんんー。微妙だなあ。

[ 2006年01月07日(土)のぼやき][カテゴリ:障害及び障害者について・与太話もあり ]


■ 支援費から自立支援法へ切り替え手続き

支援費から自立支援法への切り替え手続きが始まり、いよいよ事態は現実的になってきました。友人たちの申請フォーマットを見せてもらいましたが、なかなか煩雑です。書類を書くのが苦手な友人の手伝いをしながら、こりゃ大変だわい、と思ってました。
 で、書類を書くのが苦手な友人だけかと思っていたらば、大学で同級で、最近支援費を使い始めた友人がやってきて、「こんなのが市から来たんだけど、どう書いていいのかわからないんだよねえ。よーのすけクンに教えてもらおうと思って。」おいおい。超一流とまでは言わないけど、人が聞いたら「ああ、頭良かったんですね。(なぜか過去形)」と言われる程度の大学を出ている人がだよ、ギブアップするような書類を発行してどうしようって言うんだ。確かに収入はあって、子どもがいて…と、いろんな所得控除がかかっていると訳がわからなくなりますけどね。先日、よーのすけ申請に付き添った友人は、所得がなかったので、「こういう人だと、書類も少ないからこちらは楽なんだけど。所得がある人は、もぅ、あっちこっちの部署を走り回らないといけないから、とっても大変。」と、ワーカーはぼやいてました。それも失敬な話だ。

 で、人の書類ばかり見てるよーのすけ、自分のトコには切り替え申請書類がまだ来ておりませんの。友人に付き添ったとき、それとなく聞いてみましたが(別の自治体)、「いやあ、県域はもう始まってるはずなんですがねぇ…。制度使ってないからじゃないですか。」

 事情があって支援費を請求したものの、自治体が手続きをしくじったおかげで、認定された時にはもう事情がなくなり、契約もしてないよーのすけ。受給車掌だけはあるんだけどね。うっかり聞きにいってやぶ蛇になると困るしなあ。
と、思っていたら、昨日役所から大きな書類がやってきました。
 これだこれだ、と開いてみると、なんと、そこに入っていたのは、「4月から自立支援法が始まります」という、県が市町村向けに出したバンフレットの、しかもコピー。この数ヶ月いやっちゅうほど見た「自己負担導入のいいわけの詰まったリスト。

 ウチの自治体も、切り替わる…はずだよねえ。自己負担額が変わる…はずだよねえ。手続きしないと切り替えられない…はずだよねえ。なんで? 田舎で小さい自治体だから、3日もあれば役所の作業は済む、ってんのかなあ。
 「疑問があれば聞け」と言うんだけれど、聞きたいような聞きにいくのが怖いような。

[ 2006年01月15日(日)のぼやき][カテゴリ:障害及び障害者について・与太話もあり ]


■ セルフ給油

最近、「セルフ」のガソリンスタンドが増えて参りました。都会のほうなんて、どうかすると半分以上がセルフ給油だったりします。

 免許を取って運転を初めて以来十数年、1円でも安いスタンドを求めて、通る道すがらガソリンスタンドをしらみつぶしに入ってみる、という生活をしてます。ところが最近、安い、と思うと、これがセルフ給油のスタンドのことがとても多い。

 セルフ給油が少なかった頃はそれほど気にならなかったんですが、このごろ、「ああっ、しまった、ガソリンが足りねえ。」と、道中で気付き、道すがらスタンド探しても、ことごとく「セルフ給油」という事態に出くわすことが出て来ました。ひょえ?、と冷や冷やしつつ、「セルフ」の看板がない店にとりあえず飛び込んでガソリン入れて、伝票見たらリッター10円近く違って、目ェ剥いたりね。

 だけど、これ、アクセス平等の観点からしたら、絶対に不正ですよね。だって、同じ条件でガソリン買えないんですもん。少なくとも、自分で運転ができる程度の障害者であれば、誰でもセルフ給油が使えるような機械にしなければいけないはず。「バリアフリー」、しかも、今度の自立支援法で、「障害者の社会に対する寄与責任」を求めるんなら、「機会の平等」をまず保証しなければならないはずで、そういう「アクセス平等」については、公的な規制をがっちりかけて保証してくれなきゃ困るのに。「バリアフリーなセルフ給油の需要が増えたら、市場原理でバリアフリーなセルフ給油機ができるでしょう。だから、障害者の皆さん頑張って車の運転してください。」じゃ困るのよ。「車いすユーザのドライバーが増えれば、ってアンタ、それは障害者が増えれば、ってことだよね。障害者増やしてどうする気だ。よかったらアンタもなってみる?って言いたくなります。

 いつか挑戦したいと思いつつ、まだトライしてないセルフ給油。給油ポンプのフックに手が届くのか? 給油口はなんとか空けられそうだけど、車いす下ろして、給油して、また車いす車に積んで…うーむ、面倒くせ。だれか、実際にセルフ給油してる車いすユーザさん(できたら上肢障害もアリ)いらっしゃいます?

 こういうの、セルフ給油が従業員給油に取って代わる前になんとかしないと、ホントどうにもならなくなりますぜ。

 だけど、こういうのって申し入れしてる障害者団体ってあるんだろうか。あまり聞いたことがないですな。

[ 2006年01月17日(火)のぼやき][カテゴリ:バリアフリー・アクセシビリティ ]


■ 東急イン事件

久々にゴットンゴットン電車に揺られていた昨日の午後のこと。周囲のオッサンたちが広げているのはスポーツ紙ばかり。それを見るともなしに眺めていたところ、紙面に踊る「西島社長 仰天会見」。見出しとしては派手派手なスポーツ紙、夕刊紙のアレなんだけども、ネタとしては、「身障者用の駐車スペース・客室をつぶしてロビーや一般客室にした」っていう、「日刊ゲンダイ」とか「スポニチ」が取り上げるのとはおよそ縁遠そうな、ジミーなテーマなのがとてもちぐはぐ。なのに、スポーツ紙のタイトルが踊っちゃうほど、東横インの社長の会見って、キョーレツだったんですな。

事件としてはかなり悪質です。横浜市では、1997年に福祉のまちづくり条例というのを作っておりまして、一定の規模以上の建物については、「バリアフリー」にしなければならない。ということになってます。商業施設しかり、マンションなどの私的に利用する施設もまたしかりです。一昨日(2006/1/23)朝日新聞がスクープしたのは、東横インが、最初から、施設を変更するつもりで設計図を2枚作っていた、というもの。建築確認が済んですぐに改築を行った。横浜市役所と同じ通りに面して100メーターくらい向こうで営業してるんだよねえ。見えるんだもん。いい度胸というか、横浜市もなめられたもんだというか。多分タレ込みがあったんでしょうが、市にタレ込んでも動かないと見られて、新聞社にタレ込まれたんだとしたら、かなり情けない。

新聞で見ているとそれほど腹立ちません(?)が、記者会見で社長の弁明を見ると、障害を持つ当事者なら、テレビに靴投げつけたくなる程度には腹立つと思います。滅多にテレビを見ないよーのすけ、たまたまこの記者会見をロングバージョンで見ちゃったんです。切りつめまくったショートバージョンは、新聞と同じ程度にしか腹立たないです。この辺りに、報道する健常者との意識のギャップが出ているような。それとも全国でテレビに靴投げつけられると困るからカットしたかな。

しゃあしゃあと言ったですよ。「バリアフリールームを作ったって、1年に1人か2人しか宿泊はない。一般客を泊めようにも使い勝手が悪い。物置として使っているのが現状です。となれば、つぶすの当然でしょうが。」と。

ショートバージョンの報道映像や新聞では、駐車場その他の施設の詐称が全国的に展開されていたとして、「法定速度50キロのところを60キロで走るようなもの。でもこれからは50キロで走るようにします」という発言をピックアップしていたけれど、ことの本質を言っているのは、「採算が合わないんだからつぶすの当然でしょ」のほうなんです。まさか、報道する側、「採算取れないんならしょうがないよね」発言を、ちらっと納得しちゃったんとちゃうやろな。ったくもう、まだまた障害者は「客」として認識されてないですね。

まあ、これだけ世の中に訳のわからない「なんちゃってバリアフリー」設備が蔓延しているところを見ると、一般的な認識なんて、「法定速度50キロって言われたから、50キロで走ってます。」というレベルなんでしょうね。バリアフリーに熱心に取り組んでいるとあるデベロッパーさんが、「同じグレードの2つのホテルがある。片方がバリアフリーである。そこに100人の団体が泊まろうとした。うち1人が車いすユーザだったとしたら、バリアフリー施設がないと、99人の健常者の客を取り落としてしまう。」というたとえ話で、バリアフリーは売り上げ向上のスキルだ、とおっしゃるひとがいるのですが、1名の車いすユーザは、ツアーに申し込む段階で、「バリアフリールームのある施設をご提供できないので」と、断られるのが現実ではあります。ま、4人家族で一人車いすユーザ、なんていうシチュエーションを考えると、4人獲得できるかできないか、という話ではあるんですが。

しかし、運がいいですよね、東急インは。いつもならねじ込みに行く当事者団体が、自立支援法で手一杯になっていて、動きが取れない時期に、不祥事発覚だもん。

障害者がもっと「普通に」街の中にとけ込んで歩けるようにならないと、言い換えれば、バリアフリーという言葉そのものがなくなってしまうまでにならないと、なかなか採算が取れるようにはならないでしょうね。もっとも、採算が取れないからこそ、バリアフリーをルールとして強制するわけですが。

だけどさあ、「採算取れないんなら、障害者を仲間はずれにするのはしょうがないよね」てなことを平気で言う社会にだよ、「社会貢献」しろ、っていうのが自立支援法なんですよね。そんな社会に貢献なんかしたくねーや。

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[ 2006年01月29日(日)のぼやき][カテゴリ:バリアフリー・アクセシビリティ ]


■ 東横イン事件 その2

まずは訂正。
「東急イン」になってますが、東横インでありました。
やっぱり間違う人が多いらしくて、東急東横の会社、抗議電話でえらい迷惑をしているらしい。
公式サイトでも「関係ございません」と明言しています。

東横インの公式サイト、昨日までは通常ページにお詫びを付けてましたが、今日は完全に「お詫びモード」になってました。建築確認ごまかしの折から、マスコミ的には飛びつくネタですしね。

で、相変わらずテレビを見てないよーのすけ、聞くところによると、コメンテーターの面々は、「障害者にやさしくない」を連発してるとか。いや、それはやさしいやさしくないの問題じゃなくて、単に「ちゃんとしてよ」っていう話なんですけどね。やさしくするのはみんなにしてあげなきゃ。

で。今回の事件でわかったことが一つありまして。これは実践的には重要なことです。というか、そんなのもっと早く気づけよ、という話ではありますが。

「お泊まりする場合、自治体のまちづくり条例にバリアフリー条項があれば、それ以降に建築・改築したホテルなら、グレードにかかわらず宿泊できるはず。」

なんで、これまで気づかなかったんだ、よーのすけ。

そうなんス。「バリアフリー」の記述がなくても、泊まれるはずなのよ。1000円のカプセルホテルだろうが4000円クラスのビジネスホテルだろうが、条例制定後に「何かした」ホテルならば。10000円台以上のシティホテルでないとな、なーんて気にする必要はないわけですよ。

「満室です」てなこと言われたら、「使えなくされている」っていう可能性あり、ということも今回の事件でわかりましたわね。1年に1,2回しか埋まらないそうですから。市の観光課経由でたれ込むわよ、とか言ってみよう。

[ 2006年01月31日(火)のぼやき][カテゴリ:バリアフリー・アクセシビリティ ]


■ 私はだあれ

クレジットカードを変えようとしたところ、本人確認の書類の提出を求められました。

こういうとき、普段は、必殺「身体障害者手帳」を使います。基本的には「一生モノ」の身分証明書なものですから。この身分証明書がなくなったらば、万歳三唱、世にもまれなる奇蹟として有名人になれることは間違いないんですけどね。とは思うものの、そんな機会に恵まれるとはとうてい思えないので、身体障害者手帳は、まとめてしこたまコピーしてあります。ところが、ここ1、2年、毎年手帳を更新しておりまして。高速割引システムが変わった時、「サッカー小僧の中学生」みたいな写真(当時22歳)を見た窓口の人に、これはあんまりだから変えましょうよ、と請われて作り直し、たまたま身分証明が必要なことが多かったため何度もケースから出していたら破れてバラバラになったのを、ETC申請時にこれまた窓口の人に見つかって、これはあんまりだから変えましょうよ、と請われて作り直し、車いす申請時に記載ミスが見つかって等級の再審査かけちゃった。その上、近々自治体をまたいで引っ越そうかな、なんて考えてるので、また手帳が変わる可能性が高く、手帳のコピーのストックを作らなかったんです。

で。

たまには「身体障害者」じゃない身分証明をしてみよっかなあ、なんて思いましてね。重度CPには珍しい「運転免許証」なんてものを持ってるので、それをコピーしまして、あれっ、と気が付きました。そういやよーのすけの免許証は、「上肢のみで操作」という障害者じるしがくっついているんでした。

それじゃほかの身分証明書、と言うと、健康保険証だ、と思ったんですが、これも、いわゆる「マル障」で、障害者じるしがバッチリくっついてるんだよな。

パスポート、はさすがに障害者じるしはくっつかないと思うけど、今は持ってないし。国際レベルにならないと、障害者かどうかの問題なしに身分証明できないのか。というか、「障害者証明」は日本国内でのみ有効だもんね。

住民票、はともかくとして、あと日本国内で身分証明できるっつーと、米穀手帳?! いや、今そんなもんは存在しないし…。ああ、「住基カード」か。でも、ICカードをコピーして貼り付けるっていうのも間抜けっぽいですなあ。でも、住基カードには健康保険情報が入っているから、ICカードとして読まれると、障害者じるしが付いてるのわかるんですな。

普通に社会生活しているつもりですが、「障害者」抜きに存在証明しようとすると意外に難しいんだ、と言うことに、今更ながら気が付きました。

[ 2006年02月01日(水)のぼやき][カテゴリ:障害及び障害者について・与太話もあり ]


■ 携帯電話変更の顛末

ついに、DoCoMoのPHSを放棄して携帯電話に変えました。

「電源、切らないでくれよ。いるはずのところで行方不明になられると困るんだよ。」電源を切っているわけではなくて、電波が入っていないだけなんですけどね。「どこへ行った?」と、呼び出す連れは「電源が入ってません」と言われて途方に暮れ、よーのすけの方は、電波が入るところを探しているうちにますます遠くへはぐれ…という情けない事故が増えていたところへ持ってきて、今まで入っていたところも不安定になってきました。来年の4分の3期中にサービス停止、という発表もあってそろそろ潮時かなあ、と。

もうDoCoMoなんか使ってやるもんか、と決意しつつ、ケータイ屋の店先を通るたびに、「あ、これかわいいし使いやすげだな」と思ってきた某機種、通るたびごとに価格が下落し、とうとう100円になったので、思い切って買い換えることにしました。で、これが結構大仕事だったんですな。

契約は簡単だったんです。大型ショッピングモールのショップで30分。「DoCoMoへのデータ移し替えはできるんですが、逆はできませんので電話会社のショップでお願いします。DoCoMoの解約はDoCoMoショップでしかできません。」電話にしろ、カードにしろ、契約の仕方はそこら中に書き散らしてあるんだけれども、解約の仕方って書いてないんですよね。変更を決意した数日前、自宅の近所のDoCoMoに問い合わせたところ、「ウチはDoCoMoスポットですのでケータイは扱ってますが、PHSは扱っておりません。携帯電話への契約更新はいたしますが。DoCoMoショップの方でどうぞ。」そこまで露骨にするか、おい。

ケータイ買った帰り道すがら、ちょうど駐車場のあるDoCoMoショップがあったので、寄ることにしました。妹くんのWILLCOMのPHSは期日指定で解約ができたので、明日変更通知を出したところで解約、と思ったんです。で、「P」マークを目指して行ったところ、到着点はなんと立体駐車場。当然ですが、管理人さんに阻まれますわな。「ここは車いす用じゃありません。」ありませんと言われても、私はDoCoMoに用事があるんですけど。この辺全面駐車禁止なんで、と食い下がるよーのすけ。管理人さん、DoCoMoショップに電話をかけて人を呼び出します。

出て来た若い女性は、事態を飲み込めていなかったらしい。「ここの駐車券はウチで負担しますから、お停め頂いて結構ですよ。」いや、そうじゃなくて。立体駐車場に入れると車いすで出て来られない、ということがどうしても理解できない模様。よーのすけも面倒臭くなって、「じゃ、車いす出しといてもらって歩いて出るからいいです。」というと、「それは危ないからやめてくれ。」という管理人さん。そりゃそうだわ、よーのすけだってやりたかない。そのうちに、やっと事情が飲み込めたらしい女性店員さん、上司を呼んできました。協議の結果、ショップ負担でパーキングメーターを使うことに。ほうほうの体でショップにアクセスできましたさ。

カウンターで解約を申し込んだところ、今すぐ解約しかできませんけど、とのこと。もう一度こんな苦労してアクセスするのは面倒だったので、してしまうことにしました。ま、一晩湯そこらは繋がらんでもよかろ、と思ったんです。それが実は大きな落とし穴だったり。

翌日、早速、自宅近くの携帯電話会社にデータ移し替えに行きました。店員さん、一目見るなり、「これ、端子がないんで無理ですね。」の一言。それっきりです。足場を心配して、母に付き添わせたのもまずかった。何もわかっていない母にばかり説明して、よーのすけを全く相手にしやがらない。とはいうものの何しろDoCoMoのPHSだからしょうがないか、ということもあり、さぁて困ったどうするべか、という技術的な問題に頭が行っていて、「客は私ですよ。お宅のお店は、お客様ご本人ではなくて連れに説明する、という商売の仕方をしてるんですか。」と、ちゃんと言ってくるのを忘れてしまいましたよ。あぁ悔しい。

電話のアドレスデータの形式は大体わかっていました。なにしろテキスト形式変換は得意分野のよーのすけです。ケータイメールを打てない(ほどでもないけど)のよーのすけ、プッシュボタンで一個一個入れるなんてやってられないし。外部メモリはなく、パソコンへ直接ケーブルをつなぐこともできない機種なので、メールにデータ添付して送れば、と思ったのですが、「アドレス帳」の項目をいくら見てもそれができるともできないとも書いていない。ネットでは「出来るものと出来ないものがある」と書いてある。で、電話サポートへ問い合わせたらば、これがまた一昔前のパソコンの電話サポートみたいな、「そうですか。そうかもしれません。でもうちではサポートしてません」しか言わないニイちゃんで…。改めてマニュアルをめくったら、全然違うところに「出来る」って書いてあって、思わずマニュアル投げつけましたさ。

ただPHSのデータの吸い出しは自前ではどうにもなりません。携帯電話会社の窓口では、それはDoCoMoに聞け、とのこと。DoCoMoショップに問い合わせたところ、「そういう機械はあるにはあるが、自分で操作して試すことは出来る。しかし、DoCoMoショップの用事とは見なさず駐車券は出さない。」と言われ、さすがにめげましたね。年賀状用のアドレスデータが7割ほどPHSのデータと被っていたので、それを元にアドレス帳を作り、登録に成功。初めからわかってりゃたいしたことはなかったんですが、なまじ「出来ます」と言われたもんで。

ってか、そもそもDoCoMoショップのアクセスであんなに大騒ぎせずに済んでいれば、こんな面倒なことにはならなかったんだ。ことの半分は簡単でも、ことの半分で躓くんだよね、障害者をやっていると。

しかし、ケータイ変えたらいろいろ操作性がよくなってて驚きましたわ。ひいひい言って打ってたメールも割と簡単に打てる仕掛けになってたし。道理でみんなケータイでメールを打つと思ったわ。別に指の動きに問題がないから、というだけではないのね。

[ 2006年02月18日(土)のぼやき][カテゴリ:日記 ]


■ 障害を受容する?

中途障害者の友人が、ちょっぴり口をとがらせて文句をたれました。「こないだ、私、『君はまだまだ障害が受容できてないね』って言われちゃって…。」

どこのどいつだ、そんな失敬なことを言う輩は。「脳性マヒです」ときっぱり言い切ればそれっきりで済んじゃうよーのすけと違い、この友人は、ご自分の障害を精確に伝えるには、うんざりするほど一杯しゃべらなければ伝わらない障害を持ってます。「原因となったなんちゃら」とか「その結果としてのかんちゃら」というのをいちいち説明するのが嫌で、「そんなもん親しくもないアンタに言いたくない」と答えたら、「障害の受容が出来てない。僕の知ってる障害者はもっとオープンに全部しゃべってる。」と言い放ったとか。言ったのはとあるベテランの福祉従事者らしい。「手前で障害を受容したことのない奴に、ンなこと言われてたまるかよ。」と居合わせた「障害者」の面々は、言うまでもなく気炎を上げたのですが…。受容してるのしてないのってそう簡単に言われてたまるかだし、そう簡単に受容してたまるか。

この話を聞いたあと、ふと思い出したのが、新井素子の『眠たい瞳のお嬢さん(結婚物語 上 style=)』の中のワンシーンです。20年ほど前の小説で、ドラマ化もしているから、ご存知の方も多いかもしれません、婚約者の両親に会いに行くヒロインの陽子さんが、めちゃくちゃに緊張ながら、婚約者に自己分析をしてみせるセリフです。


「実際、あたしってあまり現実にうまいこと適応できるタイプじゃないんだよね。あんまりそうは見えないようなんだけど。」

「…みたいだね。」

「あきれた?」

「わけじゃないけど、ちょっと驚いた。もっとずっと図太いんだとばかり思ってた。」

「実は意外と繊細だったりするの。でもあたし、繊細なあたしってあんまり好きじゃないんだよね。だから平生は極力人にそういう部分を見せないようにしてんの。」

…略…

「あたしは弱い人間ってあんまり好きじゃないの…。あ、ううん弱い人間か嫌いなわけじゃないんだよね。自分が弱い人間であるのが好きじゃないの。あたしの理想のあたしっていうのは、性格的にも肉体的にも強い人間であって欲しいんだよね。…それは、理想だとか、そうなりたいとかっていうのより、もうちょっと強い欲求でね。そうじゃないと嫌なの。ところがいかんせん、現実の自分っていうのは、性格的にも肉体的にも結構もろいんだよね。これはなかなかジレンマで、それも解決できないジレンマで、だから自分の弱い部分っていうのが、多分、好きじゃないんだよね。」

「…」

「だからあたしが人なつっこくて、人といるのが好きで、陽気で明るいっていうのは…多分あたしが本質的には、人といるのが怖くて、暗くて、陰気なせいだと思うの。…略…」

…略…

「人と一緒にいるのが怖くてしょうがない場合、人の群れの中で一人でひざかかえてる限り、いつまでだって人が怖いじゃない。けど、その点、『やあやあやあ、あなたとあたしはお友達友達』ってやっちゃえば、先方のリアクションがあるだけ、一人でひざかかえているのより怖くはないじゃない。そういう意味では、一人でひざかかえていられる人の方が『やあやあやあ』ってやっちゃう人より、精神的にずっとタフにできてるような気がするんだよね。」

ちょっと長いけど引用してみました。図星?♪な人、います?

四肢マヒ(何度見てもコワイ文字面だ)に、不随意運動に言語障害に顔面緊張その他もろもろ…。こんなもんが「ない」自分を想像するのが不可能なよーのすけにとっては、「障害」は、まあ「自分の一部であり全部」です。笑い飛ばすこともあれば、茶化すこともあります。でも、それって、長年健常者と一応互角に(?)やり合ってきた「障害者」の知恵でもありまして、一種の「健常者だまし」なんですな。「健常者」にとって、「障害があることを感じさせない障害者」というのは、ものすごく付き合いやすいはずなんです。

「障害がある」という事実を突き詰めていくと、それは「もうやだあ」と駄々っ子したくなるくらいつらいものでありまして、不安と恐怖で押しつぶされそうになります。それは事実。そういう不安と恐怖は健常者諸君でも想像はつくものでして、そんな重いものを抱えた連中とどう付き合ったらいいんだ、と実は内心ビビっているみたいです。そんな緊張関係の中で、「あら、あたしの障害はせいぜいこんなもんよ。あたしの個性だと思ってるから気にしないで。」って、障害者側に言われたら、そりゃ健常者側は救われた気分になりますわさ。「こうあれかし」のイメージどおり、「明るく元気な障害者」をやってあげればよろしい。緊張をはらんだ目に囲まれて、おびえているのがいたたまれないから、陽子さんみたいに、「怖くない、怖くない。あたしはか噛み付いたりしないから。」っておどけて相手の中に切り込む。これが「けなげ」に見えて「可憐な障害者」になれるか、「やたら元気」に見えて「豪傑の障害者」になれるかは、その人次第ですけどね。「そう見られるのがそもそも疲れるのだ。そんなのホントの私じゃない」ですと? いや、よーのすけの経験からすると、そんな化けの皮、しばらく付き合ってりゃすぐに剥がれますって。「健常者」もそれがわからないほど馬鹿な奴はそう多くはないはずです。「頭が良くて、努力家で真面目なよーのすけ君」が、「根性曲がりで、融通が利かなくて、結構間抜けなよーのすけ君、やっぱフツーの人だった」に転落するのは結構早い。

その意味で受容したフリ、ってのは、比較的簡単にできるんですな。障害のことをオープンにしゃべるから受容してる、なんて本気で思えるとしたら、それはかなりおめでたいです。だってさ、よーのすけ、よくやるもんね。自分の障害を都合良く変えてしまう、っていうの。というか、このサイバー空間に生きる「よーのすけ」の姿が、多分、実体のよーのすけの「かくあれかし」の姿なんだだとも言えます。「重度な四肢マヒで、重度の割には大した努力もせずに何でもこなせる気楽な奴と見せかけながら、時々力業を発揮するタフな奴で、理知的だけどすっとぼけてて、脳性マヒ者であることがそれなりに気に入っている奴」。よーのすけにとって理想の「よーのすけ」なんですな。実際は人見知りで内気なはにかみ屋で、言語障害と不随意運動にものすごい引け目があったりするのだけれども(写真が嫌いなのはその明らかな証拠)、そういう自分が嫌だから、「障害」を丸ごと受け止めているフリをしているだけだったりします。

別に意識して人様をだまくらかそう、っていうわけではないですけどね。自分に対する嘘…かもしれませんな。

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[ 2006年03月13日(月)のぼやき][カテゴリ:障害及び障害者について・与太話もあり ]


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