ぼやっきいなよーのすけ ver.3ログ  - 4

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■ すぐ馴染み客になれるのはいいけれど

出入りしてる当事者団体のオフィスが入っているショッピングモール、立体駐車場が併設になってまして、よーのすけはそこに車を停めとります。なにしろ「ハートビル」でありますので、どの階からでもスロープで駐車場に行ける。某ショッピングモールみたいに、10階建ての1階と9階しかスロープつながってまへん、なんてケチなことは言いません。
店舗から駐車場に出るところにお手洗いがありまして、道中が長いよーのすけ、帰宅時に必ず寄ります。とはいうものの、いかにハートビルといえども汎用トイレ(と、当店のデベロッパーは言っている。俗に言うハンディキャップ・トイレ)は1カ所に一つだけ。バッティングすることもしばしばあります。先客が「同業者」であれば、「どーもー」で済むのですが、親子連れだったりすると、先方を非常に恐縮させてしまうので、トイレの隣の店を眺めてます。が、これが、某外資系高級下着メーカーの廉価ブランド専門店。男の人だったら、トイレの前に陣取ってじっと待つしかないですけどね。

で、よーのすけは、そういうものを見ていても(たぶん)怪しまれない人種なのではありますが、ずっと浮き世離れした研究室お籠もり生活していたものですから、フリルやレース、きらきらの下着に近づくにはかなり気後れがするんですな。とはいえ、さすがに2年近く通っていると、多少はレースとフリルに免疫が出来てきて、サイズ合わせてもらって買ったりするようにもなるわけです。(こら、そこのキミ、人のシャツの下を想像するんじゃない。)
さてその下着店、新作が入荷すると、「試着キャンペーン」なんていう妙なものをやる店でして、ウィンドー越しにトイレを見張っていると、店員さんと目が合うんですな。店員さんというのは、人の顔を非常に良く覚えている人種ではありますが、なにしろの車椅子ユーザー・脳性マヒ。ハートビルで、車イスを見ない日はない、というほど車椅子ユーザーのお客様が多い当ビルではありますが、それでも目立ちます。こっちは覚えていなくても、向こうはちゃんと覚えてます。新作来たんで着てみませんかぁ?となる。…いやね、車椅子ユーザー捕まえて、フツーに「試着してみませんか」つって、試着室に引っ張り込めるお店、というのも、今のニッポンじゃ相当珍しいとは思うけど。

障害者・車椅子ユーザー。目立つんですよね。覚えられるんですよね。異形だから。一度買い物しただけで、9割方覚えてもらえます。店舗で買ったシャツを着て、社員食堂でそれを売った売り子さんに会ったら、大喜びされたりしますもの。
よーのすけは、実は結構目立ちたがりですし、自分が外に出るときは、キャンペーン塔だ、ぐらいに思っていて、そういうリアクションに対しては、愛想良く健常者サービスしてます。というか、店や街で話をするのが割に好きなので、楽しいわけです。でも、「フツーでいたい人」にとっては、こういうのって「じろじろ見られる」って感じるのと相通じるところがあるのかもしれません。中途障害者なんかで、以前は買い物に行っても何も言われなかったのが、障害者になった途端に顔を覚えてくれて、「よっ、いらっしゃい。」なんて挨拶されるようになったら、「ああ、やっぱりあたしは違うんだ」って感じるのかもしれません。
よーのすけは、じろじろ見られるの大好きなので、実感は湧きませんが。何でって? よーのすけとしては、こんな珍しいものが横にいるのに、まるっきり無関心、っていう精神構造の方がよほど怖いっす。見ててくれたらこっちから声もかけやすいもんね。もっとも、こっちが知らんぷりしてると指さしたりするくせに、こっちが微笑み返ししたり、声をかけると慌てて知らんぷりする手合いもいないではないけれど。せっかくサービスしてやったのに。根性なしめ。
向こうはその気が全くなくても、こっちが何となく「特別な存在」として構えてしまうこともあります。というか、そういうケースは非常に多い。見られていると思っても、いることにすら気づかれていない、というケースも実は結構あるんですな。それでも自分の意識は「何となくあたしって特別」。この感覚と上手につきあえないと、なかなか外へ出る一歩が踏み出せないのかもしれません。

[ 2005年09月01日(木)のぼやき][カテゴリ:障害及び障害者について・与太話もあり ]


■ 電話サポート受けてみました

 ワケあって、このところいくつかの金融機関でネット上の取引をしました。それで、パソコン触り初めて15年(わっ!)、初めて操作がわからなくなって、サポートセンターに電話をしましたよ。仕様がわからなくてサポートにかけたことはあったけど、操作でサポート受けたのは初めてです。

企業によって、ウェブ操作プログラムのセンスって違いますね。いくらネットが発達した昨今といえども現金操作なしに生活することは出来ません。よーのすけは、自分でお金を操作する時は、郵便局メインで郵便局ATMが使えるネット銀行を使っています。それ以外の伝統的銀行口座は自力アクセスが難しくて家人任せになってます。

で、今回ワケあって伝統的銀行口座のネットIDを獲得し、複数金融機関でお金を動かしたのですが、いやぁ、わかりにくいところはちーともわからない。確かによーのすけが世慣れてなくて、「取引」とか「金融商品購入」とかっていう言葉になじみがない(「定期を作る」が「金融商品購入」のカテゴリに入っているとはしばらく気づかなかった)せいもあるけれど、何というか、「予想外のものがリンクボタン」なんですもの。ネットのみの銀行では取引もしているし、ネットショッピングもしているし、大概のアプリケーションは触ってヘルプを見ればほぼ使いこなせるよーのすけがですよ、とうとうギブアップして、「あのー、定期の明細見たいんですけど、どうすればいいんですかあ。」って聞いちゃったよ。「区切り線」だとばかり思っていたカラフルなバーが、よく見たら「残高照会・定期・振り込み…」なんていうイメージマップでした。なまじ、自分がサイト構築しているので、何か思いこみがあったことも確かではあるのですが。「大事なリンクはテキスト」とか、そんな感じの思いこみが。

この調子で、数件聞いてしまいましたよ。入り口が見つからないんだもん。わからなくなったらソースを見てリンクを探す、というのは最終手段ですが、こういうサイトはセキュリティのためJavaScript使っているからその手が効かないし。

ひどいところは、

 ・ お取引はこちら
となっていて、「お取引はこちら」にはリンクがなくて、4ピクセルあるかないかの「・」がリンクボタンだったり。気付かねーよ、そんなの。それに、こんなん上肢不自由でクリックできるかってんだ。

最近、キーロガー対策で、キーボードからは入力をさせずに画面キーボードを使用する金融サイトも出て来たけれど、こういうのって、画面クリックが出来ない視覚障害者とか、これまたマウスが苦手な上肢不自由にはどうなんでしょう。たやすくクリック出来るほど、画面キーボードはでっかくなかったし。

 粗忽で見落としの多いよーのすけであることは確かですけれども、それでも多分パソコン中級者のよーのすけがサポート受けるほど、わかりにくかったりするわけです。一応、稼働する前にテストくらいはするんでしょうけれどねえ。

実はパソコン歴はよーのすけより3年ほど長い家人が時々ネットで買い物しようとして、途中で固まったり(PCでなくて本人が)、なぜかプロバイダが解約されてしまって「10日以上メールが来ない」と騒いだりしてるのですが(ブロードバンドの契約をよーのすけ名義にしておいてよかった)、ネットのインターフェース、マジになんとかしてくれないと、これからますます複雑なことをネットでやることになりそうだし、PC難民は増える一方だな、と思った次第。

以下、暇なパソコンお宅の方はどうぞ。よーのすけが昔一度だけ受けたパソコンサポートのエピソード。

Win3.1が出たばかりのころ、よーのすけが買ったのがCompaqのContura AeroというB5サブノート。当時としては珍しいPCカードでFDDをつなぐタイプだったんです。Windowsとは名ばかりのWin3.1ゆえ、使い物にならず、WinとDosのマルチコンフィグに書き直したのですが、そのとき何かを間違えまして、FDDを認識しなくなりました。もちろんブートドライブですのでBIOSでは認識するのですが、PCカードの最大の利点P&Pが出来なくなりました。これは、間違いなくメモりアドレスの割り当てに失敗したわ、と思い、マニュアルをひっくり返したけれども何も出てこない。仕方なくてサポートセンターにFDDのメモリアドレス教えて、と電話しました。

これを読んでいる大方の方は予想しているでしょうが、返ってきた回答は、若いお姉さんの声で、「CONFIG.SYSを書き換えた場合はサポートはお受けできません。」あのころは多かったよねえ。

あれこれ試したあと、PCにインストールされているテキストを片っ端から開いてみたら、そういうテクニカル文書がいくつか出て来まして、その中から該当情報を見つけ出せたから良かったようなものの…。

こんなことできる人でも、操作がわからなくなるサイトってのもあるんだなあ、ということで。

[ 2005年09月03日(土)のぼやき][カテゴリ:パソコンとIT ]


■ 使っています、ETC

 去年、ETC設置に伴うの高速料金割引制度改正にこと寄せて、「矢文で割引証を飛ばす」てな原始人的戯言をほざいていたような気がしますが、オートメ化の波には逆らえず、よーのすけも、この春、ETCを導入しました。

…って、なんのことはない、春頃にハイウェイカードの買い置きを使い尽くしてしまい、一頃ほど年中高速使うわけでもなし、どうするかな、と思案していたところへ、クレジットカードのETC会員年会費が無料になって、取り付けキャンペーンを始めた、というのがきっかけなんですけどね。ますます運のいいことに、1万円キャッシュバックキャンペーンも残っていまして、カード会社のキャンペーンと合わせて1200円で設置できましたの。1200円なら、前払い割引1回で十分に元が取れますので、これなら付けてみる気にもなります(ケチ)。先日、カー用品屋でETC機器のお値段見てたまげたです。機器、セットアップ代、取り付け費用全てがかなりお安くなっていたみたいです。さすがに、キャッシュバックでプラスにはならなかったですけどね。

で、ぼちぼち使ってます。確かに早くてスムーズです。ハイウェイカード&割引証の頃は、ハイウェイカード・割引証・通行証をまとめてカード立てに立てておけたので、そこそこスムーズに受け渡しができたのですが、割引証が廃止になって手帳提示になったおかげで、まとめてスッと出し入れすることができなくなりまして。本当は割引証があっても手帳提示しなけりゃならないんですが、料金ブースに立つ人の数なんてたかがしれてますもの。すぐに顔なじみになって、割引証見て顔を見て「ご苦労様です」と挨拶して通してくれるようになりますさ。けれども割引証なしに顔だけで割り引いてくれるほどお友達にはなれないので、手帳は別のところから取って提示しなければなりません。ハイカが切れて、しばらくクレジットカードで支払っていたのですが、これまたカード立てには立たないので、料金所ではちょっとした阿波踊りを踊ってました。もっとも、料金所の係員も、何回かに一度は割引し損ねて「どうしよう」と固まり、しかも支払いがクレジットカードだったりすると、向こうも阿波踊りを踊り出し、ウィンドウのあっちとこっちで阿波踊り、とうとう事務所から人を呼ぶ、というお祭り状態はまず起こらなくなりました。窓すら開けずに通れるのですから。そういえばよーのすけ、先代のクルマはパワーウィンドウですらなく、ハンドルしこしこ回して料金所通ってたんだよな。慣れれば何でもできる、という見本のような気も(といっても障害によって限度ってもんがあるので、よい子はマネしない。)。

早く・便利に・楽になったのは確かですが、料金所の係員と顔なじみになって、おしゃべりする、という楽しみはなくなりますね。係員は、1時間程度のローテーションなんですが、行きと帰りに同じ人に会って、「おーーっ」と驚いて見せたり(10以上あるブースで往復同じ人に当たることはまずない)、しばらく会ってなかった係員に「あれま、お久しぶり、元気でした?」と言われたり、深夜、後ろに車がいないのをいいことに長話したり(おいおい)、なんてことはできなくなりました。領収証と一緒に、あめ玉もらったり、ミカンもらったこともあるんだよな。ヒマだと料金ブースの中で食べているらしい。

オートメ化で、手足を使わないでコトができるようになる、というのは、確かにユニバーサル化の重要な要素の一つではあるんですが、人と人とがすれ違う時に生まれるちょっとした引っかかり、とか、引っかかったことで生まれる工夫・考えてみることのチャンスも減ってしまう気もします。だからといって、人と人との温かい関係こそが障害者の福祉にとって重要で、それゆえ機械によってその部分の希薄化が云々… なんてパソコン音痴のいいわけみたいな話に持って行く気は毛頭ございませんけどね。

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[ 2005年09月08日(木)のぼやき][カテゴリ:自動車 ]


■ アフィリエイトで一苦労

 アフィリエイトを始めました。いや、別に儲けようっていう気は全然なくて、どれくらいの人がよーのすけの記事を見て関連情報を探しに行くかを見てみたい、というナルシスト的な興味から。あと、クリック一発で、紹介した商品にアクセスできたら、ご訪問者には便利かしらん、と思ったし。

以前から、ブックレビューをやりたいとは思っていて、アフィリエイトに参加したいとは思っていました。本のグラフィックを掲載するには著作権上の問題がありますからね。その問題をグラフィック許可のアフィリエイトならばクリアできます。

最初にあたったのは@niftyのブックストア。実態はBK1です。ニフティのIDで出来ると思いきや、どうもニフティのブログでしか出来ないらしい。というか、ほかのやり方がわからない。

となると、いつも使っているAmazonかいな、と思ったけれど、ここでつい欲が出た。どうせなら本だけじゃなくて、プロバイダやその他のグッズでもリンクを貼ってしまえ。そうおもったもんで、楽天市場の入ったアフィリエイトに参加したわけです。

で、楽天ブックスの商品リンクを以前の書評ページに貼ってみると、画像はきれいでなかなか見栄えもよろしい。ところが、よっ、とクリックしてみると、肝心な本が「ただいま取り扱いしておりません」になってしまう。在庫はちゃんとあることになっているのにい。しかも、クッキーのコントロールに失敗しているのか、以前に見た商品があると全部そこへジャンプしてしまう。これでは使い物にならないので、結局Amazonに登録する羽目になりました。

リンクの仕方って、登録するまでわからないんですよね。こAmazon、リンク形式がインラインフレームなんだ。ネスケでは認識せず、音声読み上げやテキストブラウザでは無視されるやつ。しかも、文字はやたらに小さい。全然アクセシブルじゃないんです。せめて、とPHPで呼び出すようにしましたが、Htmlタグが二重になるページってどうなんだろう。

 人の素材を利用すると、こういうコトがあるから嫌なんですよね。アクセシビリティに配慮しているサイトとしてはすごく使いにくい。ってか、自分で買い物してても、古いブラウザが使えなかったりして頭に来ることもあるし。

とはいえ、広告だらけのサイトにするつもりは毛頭ないのでご安心を。必然的な分しか入れませんから。

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[ 2005年09月11日(日)のぼやき][カテゴリ:編集後記・サイトについて ]


■ ♪や〜る〜と決めた〜ら、どこま〜でやるさ?

 「福祉工房あいち」の展示と主催者の講演を聴く機会がありました。よーのすけの方も出店中だったので、正しく言えば講演はろくに聞かず、店番の合間を縫って見物に行っただけなんですけどね。しばらく前にNHKの『にんげんドキュメント』で取り上げていたらしいですし、確か国際福祉機器展でいつも人だかりがしているブースなので、ご存じの方もいるでしょう。4指切断の主催者が、自分が使いやすい「自助具」を自分で製作し販売している小さな「ローテク工房」です。

ぱっと目には何に使うんだかわからない「???」の器具です。説明されても、私なんぞには「???」の器具もあります。4指切断で後は「健常者」の自助具と、「どこもかしこも障害者」のCPでは、「自助具」の形が全く違うのは当然と言えば当然ではあります。しかし、いつの間にかよーのすけの後ろについてきていた、食事もトイレも「自立」ではないが、一人でどこでも出かけてしまうという重度脳性マヒの友人に、「一人でご飯が食べられる」という自助具を熱心に勧めているのを聞きながら、一つのアンチテーゼを思いつきました。

「何でも自分でやりたい、と言って、出来るまで頑張る、って、そんなにスゴくてエラいことなのか?」

よーのすけは、かなり、「何でも自分でやりたい、と言って、出来るまで頑張る」度が高い人です。なので、周囲からは「よーのすけさんは頑張り屋で…。あなたを見てるとこっちも励まされるの。」なんて言われます。そんなことないですよぉ、なんて口では謙遜しつつ、腹の中では「そりゃ、あんたら健常者が都合のいいようにしかブツを作ってないから、こちとら苦労してるんだけど。のんきなもんだわ。」てなこと思ってます、なんてことは言いません。

どうして「何でも自分でやりたい、と言って、出来るまで頑張る」か、っていうと、「人に頼むのがめんどくさい」からなんですな。何かをするたびに人の手配をして、人の都合を見て、頼み方考えて…なんていうチョー面倒臭げな手間を考えたら、多少の時間と努力を費やしたとしても、自分でやった方が楽。もちろん、「面倒だからやりたいことをやらない」という選択肢もありますが、それを取らないとすれば、「何でも自分でやりたい、と言って、出来るまで頑張る」というのは、はっきり言ってものぐさな証拠です。「自分で出来る」ということはつまり、「やりたい時しかやらない」ということが可能だ、という意味ですからね。そりゃあ「出来るまで頑張」っちゃうよ。

そうはいっても、「頑張ってやる」気になるのは、健常者が費やす時間の2〜3倍が限度かな。たとえば着替え。よーのすけの場合、学生時代の冬服(三つ揃い+ネクタイ:大概の上肢障害者が苦手とするもののオンパレード)で20分。普通の人なら10分程度で済むのかしら。なんせ寒いし、着せてくれるならそりゃありがたいけれども、誰かの手が空くまで布団の中に潜ってなきゃならないのも嫌だし、朝の忙しい家人の手を要求する心苦しさを含めて比較考量したらば、これは自分で着替える方が楽だわい、という話になる。これが40分かかるようだったら、さすがに考えますわな。「出来ない」ことにして、人手を使うことを考えた方がいいかしらん、という話になります。もちろん自分で出来る喜びってものがないわけではないし、よーのすけなんて、上肢不自由のくせに、こしょこしょ工作作って仕上げるのが大好きな人だから、「やり遂げる喜び」というのはわかるつもりですけれども、やはり一定の成果が伴わないと、喜びって感じられないんですよね。「自分でやる喜び・やり遂げる喜び」は、むやみに美化するべきではない、と思います。

訓練したり工夫したりして自力で成果上げられるようになるタイプの「障害者」にとっては、多分、今回の自立支援法案って、あんましリアリティ持って怖くはないんでしょうね。今回俎上に乗っている「支援費」は、基本的に「人手」のお金の問題ですから。機器や設備投資だけで自由を手に入れられる「障害者」にとっては、テクノロジーの発展とハコモノへのアクセスが提供されてしまえば、自分の欠損が「社会的に」補われてしまうことになる。それらを使って、「自ら何事をもやり遂げられるようになる」のだから。

よーのすけに言わせりゃ、「自分でやる喜び・やり遂げる喜び・ついでにエライねと褒められる喜び」なしに、しかも、「好きな時に人に気兼ねなくやる」気楽さなしに、「やりたいことをやる人」のよっぽどエラいっすよ。

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[ 2005年09月20日(火)のぼやき][カテゴリ:障害及び障害者について・与太話もあり ]


■ 障害給付額改定請求 不該当通知

障害級の変更に伴い、年金級の変更も請求していたのですが、「不該当通知」が返ってまいりました。「手帳級は2級でも、年金は当然1級をもらってるんでしょ? えーっ、2級! 何で?」とまで言われていたよーのすけとしてはかなりアテが外れました。年金級が上がることを前提に、「自立生活」計画中だったので、かなりショック。不動産屋に物件探しの依頼までしてあるのにぃ。取らぬ狸の皮算用。

実は、提出した診断書、いささか胡散臭いんですわ。よーのすけ、どう考えても10メートル独歩は「ムリ」なんですが、「歩ける」ことになっている。伝い歩きだって場合によってはかなり怪しいっちゅうのに…。その他、細かなことで出来なさそうなことが出来ることになっていたり、出来るような気がするものが出来ないことになっているんです。いや、そもそも身長150センチに満たない短躯だってのに、165センチあることになっている。これ、ひょっとして、別人の診断書なんじゃねーか? 「歩けない」のがよーのすけの最大の(?)アイデンティティだというのに、歩けることにされてたまるか。

行きつけの整形医が自分はCPに詳しくないから、と、今は引退してボランティアで判定用診断を書いている友人の整形医を紹介してくれたんです。そのときの診断の模様は4/8のぼやきで報告したとおりなんですが、紐を結んだだけで、後は何も聞かれず言われずに勝手に診断書を書かれてしまったんです。そっちは1級で通ったから、文句も言わなかったんですが、年金級の時は、「手帳級の診断書を参考にして書くからポストに入れといて」と言われ、上がってきた診断書を見たら身長165センチになってまして。で、このセンセ、開業してませんので、開業医のはんこもらった方がいい、と言われて、行きつけのセンセのところに持って行く途中で「身長165センチ」には気が付いて、行った先で訂正してもらったんですが、さすがに自分が歩けるコトになっていたとは気付かなんだ。役所でコピーを取ってもらい、しげしげと眺めて初めて、「ふえ?
歩けることになってるけど?
私。」立位は取れないことになってるけど…。で、見れば見るほど、とうてい自分のこととは思えない診断書。

診断書を書いてくれたセンセ自身、よーのすけが「手帳級は2級でも、年金は当然1級をもらってる」と思いこんでいたらしいので、手帳級の診断書をテキトーに書いたんでないかと…。でつじつまが合わなくなったんじゃないかと…。何せ「精神上の病を併発する恐れあり」とまで書かれておった。確かに多いパターンではあるけどね。歩けるんならそれくらいにしておかんと…。

ま、自分はそんなに「重度じゃない」と思ってますので、さすがに1級はちょっと怪しい気がするナ、とは思うんですけどね。ただ、納得できない診断書で判定されたのは不服です。とはいうものの、診断書を書いてくれたセンセと、書いたことになっているセンセの名前が違うところが困るのよね。実際に書いたセンセに行政指導が入るのは知ったこっちゃないけれど、親切に紹介してくれて、名前貸してくれたセンセに迷惑かかるのはなあ…と。

行政不服審査請求をするつもりではいるけれど、さてどうするべえか。

行政不服審査請求については、答案もレポートも書いたけど、自分がすることになるとは思わなかったな。

[ 2005年09月21日(水)のぼやき][カテゴリ:障害及び障害者について・与太話もあり ]


■ ホテル予約顛末

なんのことはない。

翌日、日本旅行社のカウンターで、かくかくしかじか、と言ったところ、いくつかのホテルに電話を入れて探してくれ、あっさり取れちまいました。バリアフリールーム。
10/16日のぼやきで「以前泊まった」といったのは、別のホテルだったらしいです。別の時に使ったホテルチェーンだったので、聞き覚えがあって、そう思いこんだらしい。もらったパンフには確かに見覚えが…。会場からはちょっと遠いのですが、駅から3分、会場最寄り駅まで地下鉄で乗り換えなしの場所です。ちょっと冒険できそう。

新幹線もその場で予約が出来てしまいました。

「通路側がいいですよね」

「出来れば大型トイレがある車両で…。11号車でしたっけ?」

「あ、当たりです。」

「喫煙席だったら別の車両で。一番前か後ろで、車いすが置ける場所があるところを。」

と言ったら、すぐに状況を理解してくれて、ぱっと取ってもらえてしまいました。無愛想で、わかったんだかわかっていないんだかよくわかんない、緑の窓口よりずっといいです。(JRの弁護のために言っておきますと、これは静かなオフィスでこちらの話が聞き取りやすいという環境にあるからではあります。)

万博やったのに、宿泊バリアフリーは全滅に近い名古屋。果たして交通の実態は?!

そういえば、当サイトを開いてまもなくの頃、電動車いすをクラブ活動で製作していた学生さんが、駅の利用実験をしてみたら、一駅歩かされた、と言っていたようなかすかな記憶が…。

楽しみだわ、うふ。(いったい何しに行くんだか。初心忘るべからず。)

[ 2005年11月01日(火)のぼやき][カテゴリ:バリアフリー・アクセシビリティ ]


■ 脳性マヒを治す?

強烈なものを見つけてしまいました。その名もズバリ、
実技編 脳性マヒは治せる! というタイトルの本。
一人パソコン画面に向かって、ちょっちタンマ、と叫んでしまいましたよ。何をどう治すんだろう。サイコーにいかがわしいぞ。

先日、結構重度な脳性マヒの先輩たちを相手に、「アラジンの魔法のランプのジーニー(魔神)が出て来て、望みを何でも叶えてやる、って聞かれたら、脳性マヒ治して健常者にしてください、って願います?」って聞いてみたら、うっ、と詰まってしばし考えた後、「多分、お金持ちにして、って言っちゃうだろうなあ。脳性マヒ治して、なんて、俺、思いつかないと思うな。」という答えがそろって返ってきました。予想どおりというか何というか、多分、横に健常者がいて、待った、をかけて、「障害を治してもらえるんだよ。」と言ってもらわないと、「脳性マヒ」のことをそもそも思い出さないです。「身体が痛いの治して」とは言うかもしれないけど。周りに脳性マヒ者ばっかりいても、下手をすると誰も思いつかないかもしれない。「金持ちに」「かわいい彼女を」…多分そんなところだろうな。健常者の望みと変わらないような気がする。二次障害で身体機能が大幅に落ちた人も、うーん、と上向いて考え込んでたから、誰も思いつかない可能性が大きい。「重度」のレベルにもよるのかもしれないけれど、「障害」のない身体を知らない脳性マヒ者たちって、この身体が普通なんですよね。もっとも、聞いた相手が「活動家」たちだったんで、そこにも問題があるかもしれないけれど。

で、ジーニーのほうから、「障害を治してみない?」っていう提案があった場合。

どうするかねぇ。これを聞いてみたかったんですが、仕事が入って与太話をしている場合ではなくなり、聞き逃しました。

よーのすけ? よーのすけはねえ…。かなり悩むでしょうね。この感覚、わからない人にはわからないんですけれども。で、ココで悩む、って言うと、怒られちゃったりするんだけれども。「障害を治したくないなんてけいからん。」 まあ、そう怒るのもわからないではないんだけれどもね。

で、上述の本、脳性マヒを治す、って、脳性マヒの何を治すんでしょうね。脳の壊れた部分を完全に修復して元に戻す、っていうのならば「治す」だけれども、そうとは思えないし。

目次を見る限りでは、「訓練」で治すみたいです。この著者、自閉やダウン症も訓練で治すつもりらしいから、身体機能を脳にフィードバックする理論なのでしょうねえ。

だけれども。

「全身性障害」なんて奴を抱えていると、「治る」っていう感覚がそもそもわからないです。よーのすけが子どもの頃は、「歩ける=治る」ということだと、誰も信じて疑わなかったけれど、でも、今の自分の感覚では、どこかの機能が変わると、全体のバランスが変わって来そうな気がして。

脳性マヒの何を治すのか? いかにもな本だけれど、怖いもの見たさで見てみたいような。

誰か読んだら中身教えて。

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[ 2005年11月04日(金)のぼやき][カテゴリ:障害及び障害者について・与太話もあり ]


■ 車いす使ってると、まともな服は着られないや

半日車いすで歩き回り、帰ってからブルゾンをハンガーに掛けようとして、ギャーと悲鳴を上げてしまいました。こんな状態になっていたんです。脇の下が両方、ぼさぼさになって3センチほどの大きな穴が空いていました。

モノは何かと言えば、2年ほど前に流行した木綿のフェイクスエードのブルゾン。一目でわかるユニクロ製です。車いすをOXに換えて以降、スーツガードが布製になり、抜けた毛羽がくっつくのが目立つなあ、とは思ってました。けれど、てっきりこすれているのは肘だと思ってたんです。つるつるの金属アームパイプから、布にくるまれたアームレストに変わったことで、摩擦が大きくなったことも疑ってはいましたけどね。まさかこんなところが。というか、よーのすけ、この日、電車を使ってあっちこっち寄り道していたんだよね。こんな後ろ姿をあちこちにさらして歩いていたんだろうか。やーん。

とはいえ、今シーズンに入ってからまだ数えるほどしか手を通していないこのブルゾン。洗濯をした母によれば、「去年洗った時にはこんなになっていなかった。」でも、肘は注意して見るけれど、こんなところには注意を払わないもんなあ。いったいどこに当たっているんだろう。こんなに痛むのでは、良い服は着られないではないですか。名古屋で3日間着た切り雀にて走り回っていたツイードのジャケットを、慌てて確認してしまいました。

今まではこんな事はなかったぞ、と、まず疑ったのは、ひと月ほど前にハンドルにかぶせたゴム製カバー。滑らなくなったので、押す方は扱いやすくなったのだけれど、時々袖がくっついて引っ張られてしまうこともアリ。だけれどもそれは「オレンジの2重バッテン印」でも同じだったしな…。それに穴の位置が微妙に違うような気がします。バックレストを高めにはしたから、それかしらん、とも思ったけれど、確か、今の高さはもう一つ先代のチタン車いすと同じはず。もう少し下げた方が漕ぎやすいんじゃない、というアドバイスも受けているんですが…。

ま、単に摩擦に弱い素材だったのかも、とも言えますけどね。朝には全然気付かなかった。半日でこうなったんだろうか。

それにしても、ものすごい摩擦だなや。こんなすごい力が車いすを漕ぐときにはかかってるんだろうか。

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[ 2005年11月17日(木)のぼやき][カテゴリ:障害及び障害者について・与太話もあり ]


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