ぼやっきいなよーのすけ

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2013 年 2 月投稿文

< Feb 2013 >

障害者? 障がい者? 障碍者? 小会社? [障害及び障害者について・与太話もあり]

『「障がい」表記について』という、とあるブログ記事がfacebookで共有されていて、それを私もコメント付きでシェアしました。

そのコメントをこちらにも掲載します。たまには更新しないとね。

なんか、どっかに同じような記事を掲載したような記憶もあるんですが…。

障碍(ただの「きず」)が、障害になるから、「障害者」で「障害者問題」になるんだと思うんですけどねえ。障碍者だったら、切られの与三郎も旗本退屈男もみんな傷持つ身やもん、みんな障碍者になっちまいます。(あああ、もうちっと今風のたとえが出てこないもんか。オヤジどころか完全にジジイやんけ。)

私は既住歴が脳性マヒで、四肢機能障害、体幹障害、言語障害etc...といっぱい「障碍」抱えてます。これを、「障碍」と見て「きずもの」と考えるか、「個性」と見るか、というテーマもそもそも一つありますが、まあ、本人としては(たぶん他人にとっても)、メンドクサイ部分が多いので、一応「きずもの」としましょう。

けれども、この「きず」が、必ず「障害」になるかというと、必ずしもそうではない。寒い日にどんなに古傷が痛むとしても、「天下御免の向こう傷」は、早乙女主水之介(あああ)の重要な身分証であって、彼そのものとまではいかないにしろ、彼の重要な一部なわけです。「きず」は、治療または対処の対象たる「障害」でもありうるし、しかし他方で、その人の重要な一部でもありうる。「障害者」を「障碍者」だの「障がい者」だのと表記することは、「何らかのきずを持つ人」というふうに、一件その人の客観的な特徴を示しているようにみえて、実はその特徴それ自体を問題視する立場にシフトする名称だと、私は考えています。

そもそも、差別の対象になるから「障害」なんであって、そうでなきゃ、ホント、ただの「天下御免の向こう傷」ですがな。「不随意運動をともなう重度脳性マヒ」というド派手な外観を名刺代わりに、私、「営業活動」しやすいこと。どこへ行っても記憶に残んですもん。(私の顔を忘れるのは、車倚子屋と介護派遣業者と脳性マヒ当事者運動関係者くらいだ。)

「障害者の感情に配慮して」、表記を変えて、心の重荷を下ろしてしまう、「健常者」の心根も気に入らないし、差別という外の問題を内面化して、「害」の字に傷つく「障害者」のナイーブさも、障害者の私としては、いささか情けないというか、これまたやっぱり気に入らない。「障害者」と名乗り、呼ばれることは、私にとっては、差別、というかどうかはともかく「きず」に関わって起きるあれやこれやを、内面化せず、社会に対して突きつける、積極的な活動でもあります。(これって単なるケンカ好きという説も)

なので、私は、「障害者」という括りが必要なときは、そういう意味で「障害者」を使うことにしています。

ま、これだけごちゃごちゃ言うってことは、要するに、私の中では「障害者」という括りはかなり特殊なものなので、当サイトではあまり使ってませんけどね。「車倚子ユーザー」とか、「上肢不自由」とかは使うけど。ウチのサイトで「障害者」っていったって、何を指すのかわからないものね。


2013-02-21 (Thu) by よーのすけ

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車椅子で彷徨えば扉
Yoonosuke Hazuki[Mail_ocean@mbc.nifty.com]