ぼやっきいなよーのすけ

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2012 年 6 月投稿文

< Jun 2012 >

ハード・ケース? [車いすや福祉機器]

「カタいハコ」ではございません。いわゆる「困難事例」ってやつです。

簡易電動車倚子に乗り始めて1年でドクターストップがかかり、リハビリセンターの装具クリニック送りとなったよーのすけ。そこで担当になったのは、自力では座位を取れないような、超ハード・ケースを担当する、トップクラスのエンジニアさんと装具士さん。なして、このよーのすけが、こんな優秀な人たちの担当するようなハード・ケースなんだ? 最初の修理に8ヶ月、それで1年乗って、腰が痛くて長時間乗れないことが判明して、今回、また8ヶ月くらい直してますから、ホント、大物ハード・ケース。

こんなに大物ハード・ケース化するような車いす作りやがって、担当した装具士のヘタクソめ、と、ずーーっと思っておりました。

だけど、つらつら思い出してみるとですね。

私、最初に作った車いす、乗れてないんですよね。そう、自分で扱えない車いす作っちゃったの。ずっとかかっていた療育センターで。

で、運転免許を取ったときに

「自分で満足に車いす操作もできないようなヤツが、自力で車載出来て、ひとりで活動できるような車いすを作りたい。」

っていう、今思えば無茶無茶な要求に管区の施設は応えられず、移送されたのが、25年前の当時、日本ではトップレベルといわれた車いすの専門家でした。この人がいたのが、管区外の市にあった、↑のリハビリセンターで、彼が信頼していた装具士さんの手によって、2代目の車いすが作られました。この車いすこそ、金属疲労で壊れるまで10年乗り続けた車いすです。車で大学へ行って、一般倚子に移乗して勉強、というスタイルがずーっと続いていました。そのスタイルに合ってたんですね。

その後、車いすそのそのを使うシーンが増えてきたころに2代目が壊れ、作り直していますが、どうもうまく行っていません。

で、はっと気が付きました。10年使った車いすを提案設計した2人っていうのは、今、簡易電動の担当をしているエンジニアと装具士コンビの先代か、先々代のコンビ。あのころは、私も市外の人で、非公式扱いだったし、もちろん装具クリニックなんていう仕組みもなかったはずだけど、私がちゃんと車いすを扱えるようにしてもらえたのは、紛れもなく、このリハビリセンターの、ハード・ケース担当コンビのおかげだったんです。

要するに、よーのすけって、最初から一貫して、ハード・ケース、困難事例なのよ。並みの装具士で対応できるわけがない。

「不可能を可能にするCP」なんて、えらそうに自称していますが、それって、それだけ道具に要求するハードルが高いわけで。障害の厳しさ・出来ない度の高さだけがハード・ケース化の原因になるわけではない。

ちなみに、この車いす、超多忙なクリニックのてんやわんやのさなかに「お預け」してしまったため
よーのすけ→リハビリセンター職員→装具士(業者)→日進医療機器→アイシン精機
のどこかで、これまた調整しかけのクッションは行方不明になり、その再現で、このコンビ、頭をひねっています。

さらに、肝心のリチウムイオン電池は廃盤になるわ、電池替えたら、インジケーターがでたらめになるわで、違う方向でもハード・ケース化が進む一方。いつか蹴飛ばされるんじゃなかろうか。いいかげんにせえ、と。

2012-06-05 (Tue) by よーのすけ

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車椅子で彷徨えば扉
Yoonosuke Hazuki[Mail_ocean@mbc.nifty.com]