幼い日、あなたは七夕の短冊にどんな願いを記しましたか。私は毎年こう書いていてました。「歩けるようになりますように」。そう書かねばならなかったんですな。少し大きくなると、自分ではちっとも本気ではそんなことを思っていないらしいとうすうす思ってました。そう書かねばならなかったのだということに気がついたのは、 大学生になったころでしょうか。でかい声で公言するようになったのは、つい最近のことです。
さて、こんなページを作ってるんですから当たり前ですが、私は目下車椅子を使用してます。しかし、そこは脳性マヒの半端なところで、全く歩行不能というわけではないです。高校までは校内は歩行器で、屋外は母に手を引かれて、結構歩けてたんですよね(どんな人参照)。
そんな状態だったから、子ども時代、両親・理学療法スタッフはこぞって歩行能力の「回復」に努力を注ぎました。引っ越しで転校したときも、以前は普通校に行っていたにもかかわらず、まずは身体的能力の回復だといって、養護学校を探したほどでした。とはいえ、幸いにしてこの計画は、両親、養護学校ともに、私の発達上好ましくない、という結論に達した上、地元校の受け入れ快諾により実現せず、以降ずっと私は「普通に」進学することとなりました。だが、その後も歩行訓練だけは続けられました。よーのすけは、授業をさぼれるので喜んでただけのふとどきモノでしたが。歩行能力の低下が、両親にとっては一番恐ろしかったようです。
しかし、当人が何に一番不便に感じていたかというと、歩けないこともさることながら、うまくしゃべれない、ということであり、字が早く書けない、とうことだったんですね。少なくとも、車椅子を本格的に使い始めたら、「障害欄」に最初に書く、歩けないことによる「できない」ことは、ほとんど解決してしまったのです。不便で、面倒ではあるけどね。友達と一緒に出かけられない、とべそかいていたのがウソのよう。十代後半頃なんて、親付きで遊びに行っても、楽しくないのが普通ですもんね。
今になって思えば当たり前だけれども、歩くというのは(健康のためとかいうのを別にすれば)移動のための手段にすぎないわけで。手をつないで歩く、というのは相当慣れた者でなければ出来ないんですわ、私の場合、それは母しかいなかったんです。かの妹くんでも、これはだめでした。ところが、車椅子であれば誰でも何とかなるのです。その意味では、車椅子に替えたのは、車の免許を取った以上に、人生変わりましたね。
ただね、加齢を、運動不足が促進してしまってるようで、むしろ、そっちの方が問題 |
だから、はづきは声を大にして言いたい。リハビリを目的にリハビリしないで、と。特に、肢体不自由のお子さんを持つ親御さんにお願いしたい。機能の回復より、若いうちに「やりたい何か」を一杯見つける方が絶対大事なのです。どんなアホなことでもいいです。人間って、出来るからやる、のではないような気がします。やりたいことがあれば、それに向かって機能は出来てくるものだと思います。