よーのすけの本棚

映画・最強のふたり

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Facebookには、一般健常者向きの評を投稿しました。こちらは、それにディープな障害者的感想を付け足したものです。

区切り

最強のふたり ポスター ヘッドレスト付きの介助用車いす。腹にはぶっとい安全ベルト。とすれば、乗ってるおじさんは完全に首から下マヒのはず、それで、背景が流れるほど介助者が疾走!? 普通そんなのありえねぇ!

と思ったあなたは相当の「身体障害者ツウ」ですね。なんで「ありえねぇ」かは註1で勉強していただくとして。

このポスター写真を見て、「おっ?!」と思わなかったらよーのすけじゃないよね。公開日の朝刊にどーんと出たこのポスター写真「だけ」で、すっかり観に行く気になったよーのすけ。上映館は限られているし、ほかのメディアで全く見かけません。といってもここ10日ほど忙しくてテレビも観てないんですけどね。このところ、土日でもすいていることが多かったので、日曜でも大丈夫だろう、早く行かないとまた間に合わなくなる、と思ったんですが。見込みが甘かったねえ。いつも同じ柳の下にドジョウがいるとは限らない。

上映館にはポスターすら貼ってなくて、おまけに「ふたり」が付く映画が2本。ポスター写真だけを記憶して飛び出してきたアホな私。楽勝、と思った座席はいっぱいで、間近な回は席が取れず、次回に回される盛況ぶりに、「ホントにココでいいのかな」と、いささか不安になりました。

私としては★5つのいい映画でした。劇場で観るかどうかはともかく、何回か観たい。笑えるシーン満載です。みなさん結構笑ってましたが、私の場合、「健常者だらけのこの空間で、ココで笑っちゃマズイわなあ」というシーン満載でしたので、いずれひとりで心ゆくまで笑いたいな、と。共感しすぎて涙も出ます。

原題intouchabties、英語で「アンタッチャブル」。アンタッチャブルといえば、往年のギャング映画ですが。「社会ののけ者」「手ェ付けられない奴ら」という原題に、「最強のふたり」という和訳を付けた翻訳者のセンスは秀逸です。「最強」の取り方はいろいろありましょうが、私は「コイツらも怖いもんなしだわ」と。

事故で頸椎損傷になり、首から下が完全にマヒした大富豪の中年男性フィリップと、彼に介助者として雇われた貧民窟出身の移民の青年ドリスの物語。

「怖いモンなして、手ェ付けられない障害者」だと、思われているフシがないでもないよーのすけにとっては、非常にリアルです。障害者として世の中に出ていくとき、立ちふさがる障害はいっぱいあります。その障害を乗り越え、立ち向かう、と言えばカッコはいいんですけれども、我ながらアホなことやってんなあ、と思う、この姿。つか世の中の「障害」そのものも、客観的に見たらかなり「アホ」なもんなんだよね。世の中のアホな障害に立ち向かうよーのすけの姿は、アホくさい笑けるストーリーにしかならんのです。なので、こういう笑けるサイトにしかならないのですが。そんなよーのすけがリアルに感じる「障害者モノ」も、やっぱりコメディにしかならないわなあ。

フランスでも、「車いすで轢くぞ!」って、悪態つくのね。こういうところも思わずツボにはまります。

介助志願者の面接で、ずらーっと並んだ面子を前に、「こ奴ら、どうシメても、どうしばいてもアカンだろうなあ。」と憂鬱になるフィリップの気持ち、わかるなあ。いるいる(いたいた)こんな奴、という顔が勢揃いしてるんです。爆笑しそうになりましたよ(一般的にはここは笑うところではないらしい)。この中から自分が、自分が雇うとしたらどいつだ。一番ダメそうでない奴を選ぶという、かなり情けない究極の選択です。その情けなさ、わかるよなあ…。信頼関係ができたドリスを去らせた後、その後釜に入った介助者がまた、いるいるこういう奴、って介助者で…。なんて思った、ってことを、自分の派遣業者やヘルパーに知られたら、気まずいだろうなあ…。一度、「ちゃんとできる介助者」を経験してしまうと、その後がツライ、というのもリアルにわかります。それなりに仕込んでいかないといけないんだけど、それまでの心地よさからなかなか切り換えられないんだよね。ひとりかふたり、コイツはアカン、という介助者を抱えておくのは、自分自身の生活維持能力を鍛えるためには必要な修行であります。

往年の映画「アンタッチャブル」は、「賄賂が全く効かない独立心と自尊心に満ちた捜査官」の物語でしたが、この「アンタッチャブル」たちの独立心と自尊心も半端じゃありません。

大富豪とはいえ、首から下完全マヒした後も(おまけに幻痛まであるらしい)、それまでの高い社会的地位をそのまま維持し続けられる男の胆力と知力と人格的品位は、並みのものではありません。制度を使わずに、私費だけで介助者を使う、というのはどういうことか。それは、その介助者を雇った結果に対する責任を全部自分で負う、ということです。何しろ、いったん雇用契約を結んだら、どんなにダメな奴でも、解雇できないんですから。合わないから、替えて、と言える私たちとはわけが違います。「制度」というのは、ある意味、結果の全てを引き受けられない者を、みんなでサポートするシステムなのです。それだけの覚悟を持った男ですもの、大富豪でなくたって、きちんとやっていくでしょう。もちろん、旧貴族の出自を持つ本当のハイソサエティ、という彼の「一流さ」も大きいのでしょうが。

そんな男とがっぷり4つに組める男、っていうのも、それなりの力がないとねえ。生活保護受給のため、不採用通知が欲しくて応募してきたドリスは、オーソドックスな教養こそないものの、これまた独立心と自尊心の高い男です。そんな彼の自尊心が、さすがに疲れて摩耗しかけていたフィリップの自尊心を新たに奮い立たせ、ドリスもまた、フィリップの「一流さ」ににより少しずつ粗野さを変えていきます。まさしく、人格と人格のぶつかり合いによって、双方の人格が高められていく、そんな物語です。

そして、そんなドリスがるときにもいないときにも、介助以外でフィリップを支える女たちの剛胆っぷりがまた、よいです。応募してきて1ヶ月もたないという、情けない男性介助者たちに比べて、おそらく何年もの間、フィリップを支え続けてきた秘書や看護師といった女たちの、何と格好いいことよ。

とはいえ、これ、「福祉介護関係者」に見せたいか、っていうと、うーむ、微妙だ。勘違いする人がものすごく多いような気がする。少なくとも、上で言うように、「ヘルパーと一緒に観る」というシチュエーションはおすすめしません。たぶん、とっちかが勘違いしするか、気まずくなります。

最後に、よーのすけが一番感銘を受けたシーンを一つ。

初めてドリスがフィリップの外出介助をするとき、車倚子仕様車に乗せることを、ドリスが拒否してこう言います

「荷物を積むんじゃじゃあるまいし、後ろになんか乗せられるか!」

あまりにもまともすぎる発言です。フィリップでさえ自分を荷物扱いしていることを、自覚していなかったのです。そりゃそうだ。たとえ、ドリス自身がその横に駐車してあるスポーツカーに乗りたかっただけにしても。そんなこと言えるところがすごいです。

公式サイト 最強のふたり

区切り

おまけの後日譚

そうだよな、そうだよな、と思いしつつ、うちへ帰ってテレビを付けたらこんなCMをやっていて、何ともはや凹んだ気分になりました。ぅう。発想が全く逆だ。「車倚子だけでなく、自転車も、トラクターも積み込みやすい。みんなに使いやすいユニバーサルデザイン仕様。「みんな」の中に、車倚子ユーザーが入ってないよ。車倚子ユーザーがトラクターの方にカテゴリー分けされちゃってる、ってことに気づいておくれ。ユニバーサルデザインが泣くよ。

区切り

註1 頸椎損傷者の場合、首から下のコントロールが全く効かないので、ちょっとした衝撃で車倚子から転げ落ちる。スピードを出していて、ちょっとした段差につまずいたとき、確実に投げ出されるので、たとえ安全ベルトをしていても、介助者が走ることはない。


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車椅子で彷徨えば扉

Yoonosuke Hazuki[Mail_ocean@mbc.nifty.com]