よーのすけの本棚

否定されるいのちからの問い −脳性マヒ者として生きて−

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否定されるいのちからの問い―脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集
横田 弘 原田 正樹 米津 知子 金 満里 長谷川 律子 立岩 真也
現代書館
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 まあ、僕は詩を書いているから気持ちも大事だってことよくわかるんだけど、だけどやっぱり人間、体のあり方でその人の考え方に大きく関わってくるってことは僕、実感的にわかるんです。だなら脳性マヒの肉体を持ってて健全者の考え方なんかわかるわけないじゃないかというのが僕の中にものすごくあるんですよ、これは。最近の若い障害者はどういうわけかな、健全者に近づこうと、健全者と共に生きようなんていう…。
一、われらは自らがCP者であることを自覚する

われらは、現代社会にあって、「本来あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、
そこにいっさいの運動の原点をおかなければならないと信じ、且つ行動する。

 これは、日本脳性マヒ者協会『青い芝の会』の知る人ぞ知る有名な4つのテーゼの第一である。以下、

一、われらは強烈な自己主張を行う 
一、われらは愛と正義を否定する 
一、われらは問題解決の路を選ばない

と続いていく。

 私ことよーのすけがこのテーゼを知ったのは、自分でも意外なほどごく最近のことである。というより、この文書そのものを目にしたのはごく最近のことだ、といった方がいいだろう。実は私は20歳になるかならないかの頃、この「横田さん」に出会っている。一浪して某国公立大学に入ったばかりで、自分が何でも出来そうな、「障害」なんかどうにだって「克服」出来ると考えるような、障害者運動なんぞとは関係ない、と考えるような鼻っ柱の強い大学生であった。家庭的にも社会的にもきわめて恵まれ、多少の「才能」にも恵まれた幸運な「脳性マヒ者」の私にとっては「横田さん」の属する「当事者運動」の「当事者」たちは自分とは縁遠い存在に感じられた。しかし、それでも「青い芝」のテーゼが出てくることになった具体的モチーフ、すなわち「親に殺される障害者」という、最も批判が多く理解しがたいとされるモチーフは、すんなりと理解できたのである。当時の私を知る人は、「君みたいな子が、あの若さで、あれを理解してしまった、というのが不思議なんだ。やっぱり君は根っからの運動向き…。(違いますってば)」と笑う。当時の私は、健常者社会に比較的うまく適応し、口幅ったいようだがそれなりの敬意も払われていた。その上で健常者と等しい地位を得て同じように活動することこそが、普通に生きる=ノーマリゼーションだと思っていた。その私が、「健常者と対立する障害者のありよう」をいわば「身体で納得」してしまったのである。私にとってこのモチーフは、衝撃的であったが、理解しうるものであった。しかしまた同時に、いわば思想の袋小路に入り込まざるをえない困難を抱えているように見えた。ある面でからすれば、このモチーフは、私自身のあり方を見事に言い表していた。しかし、別の面から見ればひどく陳腐で着地点を見いだせないものであった。納得せざるをえないと同時に激しい反発を覚えたのである。私は否応なく「障害者」であることを突きつけられた。それによって、私は、自身を二つに(あるいはもっとたくさんに)引き裂かれ、それを統合する「何か」を探さなければならなくなった。そしてそれは今もなお続いている。

 さて、本書は5人の人々と横田弘の対談集である。著者の横田弘は、詩人であり、日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」に草創期から関わった人物である。面識がなかったのは最も若い立岩真也だけで、後の4人は、横田とともに様々な戦いを戦い抜いてきた、いわば盟友たちである。障害者の自己主張、障害者にとっての「地域」、優生思想、統合教育、障害者の自己表現、といったテーマが並ぶ。詩人横田のリリカルでありながら力のこもった司会により、脳性マヒ者の過去と現在と、そして未来がインタビューされている(少なくとも、この対談の現場で聞くよりはわかりやすいはず。)。障害者がいかに「取り扱われてきたか」、そして「取り扱われること」に対して、障害者がいかに抗議し、どのような存在でありたいかを模索してきたか、という30数年にわたる凄まじい格闘の軌跡が見て取れる。それは、重度脳性マヒ者が社会を相手に組み討ちした格闘であり、横田個人が社会に対して、また時には脳性マヒの仲間たちに対して、そして自分自身に対して挑んだ戦いだったと言える。

 最初の対談は、社会学者立岩真也との対談であり、「青い芝」が行ってきた「差別される側からの自己主張」とそれが70年代に与えたインパクトと歴史的な意義とが語られている。そして、現在流行している「ノーマリゼーション」、「施設から地域へ」のかけ声の中、障害者と健常者が、同じ時間と空間を共有する中で、果たして本当に「関わり合っているのだろうか。そして本当に関わるとはどういうことなのか。」というテーマが、地域福祉(原田正樹)、学校教育(長谷川律子)の場で、「青い芝」との共闘の経験を通して語られている。

 「青い芝の会」についてはなじみのない人も多いと思うので、沿革と意義を述べておこう。「青い芝の会」は1954年発足した。当初から文芸的な活動と縁が深く、「障害者差別」を「文化」の問題としてとらえてきた、というところに特徴がある。それは、端的に言ってしまえば「能力主義への批判」なのだが、「出来ることはいいことだ」が、いつしか「出来ないことは悪いことだ」そしてさらには「出来ない者は打ち棄てられてもやむを得ない」に転じてしまう、だれもが疑ったことのない「常識」こそが「健全者文化」という特殊な文化に支えられているのだとして、強烈な異議申し立てを行ったところに、「青い芝の会」の意義があったと言える。

 この「青い芝の会」を一躍闘争的にしたのは、70年代の初頭に横浜で起きた「障害児殺し」事件であった。育児疲れで将来を悲観した重度障害児を母親が殺した、という事件である。母親への同情一辺倒の風潮の中で、「それでは、障害を持つ子どもは殺されて当然だったのか? あなた方もまた自らが危機の際には我々を殺して仕方ないと言うのか?」と、具体的には母親の減刑嘆願活動に抗議するという形で、糾弾した。「正常な社会」においては本来的に存在しないはずの障害者。医療的措置や理学療法で障害を除去するか、この世に出てくる前であれば、「出て来てもしんどいだけだよ。出てこない方がいいと思うけど。」と評価され、消去されても「仕方ないね」と考えられてしまう存在。両親の重荷、ひいては社会の重荷として生まれ、育ち、一生を終えなければならなかった重度脳性マヒ者が、「打ち棄てていいものなら打ち棄ててしまいたい重荷」の側から、自らの「価値」を主張したのが、「青い芝の会」の活動だったのである。「障害があるけどすばらしい能力がある」「障害があればこそすばらしい」そのどちらでもない、「無力で、役に立たず、他人の助けなしには生きられない、しかし生きている障害者なるわれ」を、社会に突き付け受け止めさせるべく、強烈な自己主張を行ったのである。それは、障害者自身が自らについて持っている自己イメージを新たに作り替えるという作業なしにはなしえない。「無力で、役に立たず、他人の助けなしには生きられない、しかし生きている障害者なるわれ」の生き方を、自分自身がありのままに受け止め肯定していかなければならなかったのである。「青い芝」の思想は、一度も「役に立った」ことのない重度脳性マヒ者が担い手となったがゆえに、おそらくはアメリカの自立生活運動に比べよりラディカルな形で、「障害者」のありようを提示しようとしていた。「障害者なるわれ」をあまりにもストレートかつラディカルに「重く」突き付け、また舶来ものの「思想」しか相手にしない日本的理論状況の中で、ソフィスケートされる機会を失ったがゆえに、広く受け入れられるには至らなかったけれども。

 圧巻なのは、優生思想と女性の権利、とりわけ「産む権利(Reproduct Rights)」を巡る、米津知子との対談であろう。「殺すな」という点で共闘してきた障害者運動と女性運動が、ここで袂を分かつことになる。産む産まないを女性の自己決定権に基礎づけようとする女性運動と、それによって「いのちの選択」が正当化されることを恐れる障害者運動と。この対立はしかし両陣営の内部から突き崩される。女性運動陣営からは、障害児を産んだ母親から、産む産まないを自己決定に帰着させられる「辛さ」が語られ、障害者運動陣営からは、障害を持つ女性たちが語り始めたことによって、障害者運動の男性性が暴露された。「優生」という露骨な概念は否定されたけれども、出生前診断や遺伝子診断などの生殖テクノロジーの発達により、よりたやすくなりつつある「いのちの選択」を前に、それと直接関わらざるをえない女性たちと障害者たちは戸惑い揺れている。その迷いの中で進む方向を定めなければならない2人の「当事者」の対談に、その混沌とした状況と焦りが凝縮されている。

 全体を貫くのは、「障害者のアイデンティティ」をどう作り上げていくか、である。それは決して内面的なそれではない。少なくとも「障害」を内面化することだけで克服し、障害者としての自己イメージを積極的なものにしようとする試みを、彼は退けているように見える。確かに「障害者なるわれ」を自ら受け入れることなしには、「障害者のアイデンティティ」を作っていくことは出来ない。しかし、それは「障害者なるわれ」を積極的な美しいものにして受け入れることではない。だからこそ、横田は、流行の「障碍者」「障がい者」を使うことなく、「障害者」すなわち「否定されるいのち」の語を使うのであり、「否定されるいのち」から問い続けようとする。その問いかけは、自らの内面と、自らの外にある全ての社会的なるものに対して等しく投げかけられている。

 それでは、障害者のアイデンティティ、「青い芝」の言い方を使えば「障害者文化」を、横田はいかなる形で提示しているだろうか。劇団主宰者金満里との対談で、彼は、「異なった身体(精神)」の持ち主で、かつ「能力的に劣っている」障害者が、「優位にある」健常者に対して果たして「美」を提示できるのだろうか、と問う。「障害者文化」というとき、それは健常者に対抗する形で作り上げられざるをえない。対抗文化として作られ、しかもそれが「障害者」であるがゆえに、「障害者文化」は構造的な矛盾を抱え込まざるをえない。というのは、「障害者のいのちが守られ、生きやすくなること」は、言い換えれば、「健常者社会の中にすんなりと組み込まれ、違和感なく生きていけること。」だからである。対抗関係にありながら、その行き着く先は「統合」になってしまうのだ。この統合と対立の矛盾は、「障害を持つ身体」と自らのアイデンティティを不可分なものだと認めてはいても、その障害ゆえの苦痛、とりわけ身体上の苦痛は「治療」して「健康」になりたいと願う「矛盾」とパラレルなのだと私は思う。もちろん、理想的に言えば、その統合は「無力で、役に立たず、他人の助けなしには生きられない、しかし生きている障害者」の存在を受け入れるべく、健常者社会の方も変化した結果であるべきだろう。しかし、不十分とはいえ年金が保証され、障害者はありのままでよい、という換骨奪胎された「青い芝」の主張を福祉的業界が承認し、また、偏見に基づくあからさまな差別は、少なくともおおっぴらには許されなくなり、それなりに人間らしく扱われるようになったまさにそのことによって、「障害者」が健常者社会に疑いなく「統合」されて、「自らを主張」しなくなってしまっていることに横田は危惧を抱いている。彼の若き日々には紛れもない実感としてあった「健常者に殺される障害者」というイメージが、2000年代の現代日本にあってはもはや実感されなくなってしまった。「健常者に殺される障害者」という基本構造は変わることがないのに、その構造が覆い隠され、ないものとされていること、それどころか、そうした構造を思いつくことそれ自体が、ひがみ根性の証左であるとされ、後ろ向きな考え方だと障害者自身が考えてしまうところに、横田は対抗すら出来ないまでに絡め取られてしまった「障害者のアイデンティティ」の危機を感じているのである。

 危機を感じているものの、横田は、その危機を突破できるような思想を提示し切れずにいる。30余年にわたる運動の一つの結末として、一方では、能力主義の社会に組み込まれえないような「障害者」が、健常者社会に「暖かく」迎え入れられて主体性を失い、他方では、少しでも能力主義の社会に組み込まれうる「障害者」が、「ノーマリゼーション」のかけ声のもと、健常者社会に適応しやすくなってしまった。この2極に挟まれて、横田は動きが取れなくなっているように見える。

 しかし、本書の対談の中で取り上げられているテーマとその問題の立て方は、「社会」の中で生きる「障害者」と社会との関係を原理的に突き詰めて提示するものであることは間違いない。そして、「否定されるいのち」としての「障害者」を出発点として選ぶほどに突き詰めてしまったがゆえに、出口が見いだせなくなっている。「あなたとわたしがいのちを巡って争ったときに、強い健常者であるあなたが障害者である私を排除して生き残るのは当然ではないか?」 非常事態を想定する考察には、物事の原理的本質が現れると言われている。現実社会において、そのような緊急事態が現れないように努力しなければならないのは言うまでもない。しかし、突き詰めた結果、「否定されるいのち」から出発せざるをえない社会枠組みは危険でもある。「いのちの選択」を行う場面は、現に存在する。法制度上も認められているのである。

 「否定されるいのち」。たしかに、「障害」をそのように突き詰めることなしにもうまくやっていけるかもしれない。むしろ突き詰めない方がうまくやっていけるのかもしれないし、突き詰め方そのものが間違っているのかもしれない。しかし、そう言うためには、この突き詰め方を乗り越えられるような何か別の枠組みを持ってくる必要がある。「否定されるいのち」である「障害者なるわれ」の確かな存在を確信できるかどうかは、月並みな言い方になるが、「障害者なるわれ」たちの日々の実践にかかっていると言うほかはない。

 ブックレビューのつもりだったのに、本格的な書評になってしまいました。ここまで全部読んでくださった方、いらっしゃいます? お疲れ様でした。
 この対談集そのものは、こんなに小難しいことを言っているわけではありません。誰でも読めますし、気楽に読もうと思えば気楽に読めます。…読めるはずです。もっとも、そう思うのは、よーのすけ自身が、この「横田のじーさん」その人を存じ上げていて「あー、横田さん、相変わらず吼えてんな… じゃなかった、熱く語ってるな。」と思うからかもしれません。一般に、横田弘が書いたものは「ついていけないわ」と思うらしいので、もしかしたら、「ちょっとついて行けない」と思うかもしれません。そうなる可能性を踏まえて、「橋渡し」をするはずだったんですが、全然橋渡しになってないじゃん。
 論理的には破綻していないはずなので、言葉面のしかつめらしさよりかはわかりやすいと思うんですが(いいわけ)。
 この書評、すっかり忘れていたんですが、去年の11月に、予告を出していたんですね、ぼやっきいで。1年近くほったらかしてたわけだ。それだけ取り扱いに迷ってた、ということでもあります。詰めて書くか、ふんわり書くか。で、結局詰めていまいました。私にとっては「横田弘」と出会い、彼を通して「青い芝」の思想に触れた、ということは大きく、やはり詰めて書きたくなるんですね。詰めたくなるのは私の本性でして、これを丸出しにすると日常生活および交友上支障を来すので、なるべく出さないようにはしているんですが…。
 それにしても、きっちり詰めて書けてんなあ。このままここに置くのもったいないなあ。どこかに投稿でもしてみようかしらん。採用してみようかしら、と言う方、誰かいません?


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車椅子で彷徨えば扉

Yoonosuke Hazuki[Mail_ocean@mbc.nifty.com]